May 2014
5月。5月と言えば端午の節句。ドラゴンボートあるいは鯉の滝登りの季節、おとこのこのお祭りの季節です。そこで、短編演目として、東方の甲冑の武将を……と考えていたのですがそちらは "production 75" のほうに任せることにしてこちらではやっぱり大長編! (注:短編予定だった部分も、いつもの余談だけはこの一番下に書きました。写真は"production 75"のその133でご覧ください。)
今回は東方のとある伝説に迫ってみましょう。ギリシア神話にも負けない、星座の伝説「七仙女」や「戦車長 造父と八駿馬」も登場~☆彡
『新説・穆天子伝 -西の姫、東の王-』
いざ!
『新説・穆天子伝 -西の姫、東の王-』
プロローグ まことの王鉞を求めて
いまからおよそ三千年の昔。東西にひろがる大いなる大陸も、東の最果てに至ろうかというそのほんのわずか手前の地。
荒れ果てた黄色き大地を流れる河の、山より湧き出でてしかしまだ海へと流れきらないほとりに、ひとりの王がおりました。
その地の名は、周。王の名は、穆。
姫一族の頭領にして、西から来たりて河を統べた、文王、武王、成王らの末。周の第五代の王でありました。
穆王の治める周は、かつて勢いの衰えた商を倒し、-もしかしたら斉公こと太公望姜子牙呂尚とその仲間の崑崙仙人たちの恩恵も受けながら-中原の主役に躍り出ておりましたが…
しかしなお、その各地にはひとすじなわではいかない強豪たちがひしめいておりました。
中でも、中原とは異なる言葉、音律、文物、そして神々をもった南の「楚」の国は、ながらく「周」の力に服することなく、中原にあって中原にあらず、帝国に在って帝国に有らず、すなわちそれひとつの国であるかのありさまでした。
穆王の先代であった昭王はかつて、東方沿海、淮河近隣の諸族をたいらげ、さらにはその勢を駆って南をも平定しようと試みましたが、楚に向かったまま、還らぬ人となりました。
楚軍のいきおいはますます増すばかりでした。
そんな中、穆王は考えました。
「おじいさまたちからかつて聞いたことがある。われわれ王家にのみ伝わる秘伝…。」
「かの文王も、武王も、その力を以てして商を倒したと。太公望姜子牙すらも、その力ゆえにわれらが祖を助けることになったのだと。」
「それこそが…西方の女神!!われら姫一族の後ろ盾にして、われらに王権を授けしお方!」
神と、獣と、人とのいずれともつかぬその姿と力。」
「それが…
「西王母!!」
「西方山脈、すなわち崑崙に坐(いま)すわれらが女神にお会いしたい!
楚を退け、われこそが中原の真の帝王となるためには、いまいちど王母さまに目通りを願わねば!
そして、このかりそめの斧ではなく、中原の正統なる王者の証となる、まことの斧鉞(ふえつ)をいただかねば!」
「造父!
造父はおらぬか!」
穆王八駿
造父「王よ、お呼びで?」穆王「うむ。これから西へ向かう!」
造父「は?西へ?まさか崑崙でございますか!?」
穆王「そうだ!
西北を駆け抜けた一族の裔、造父よ。そなた、西には強かろう。それに長旅にも。わが御者をまかせる。古今の最高の馬を以て、わが西への旅を完遂させよ!これは、周の中興のための偉業だ。
商のほろびてよりわが周王家に仕えてくれたこと、うれしく思う。この偉業を共に成し遂げた暁には、なんじをふたたび諸侯に任じよう。」
造父「は。ではいっちょいきますか。」
穆王「う、うむ、急に緩いな、おぬし…。」
造父「長旅、ずっとそのテンションでは疲れますよ、王よ。ま、とにかく、まずは馬ですな。ご安心を。
八駿よ!!穆王さまの、八駿よ!まいれ!!!!!」
穆王「な、なんじゃこれは~!?八頭立ての戦車だと!?造父よ、このようなもの、いつのまに?」
造父「もとは楚とのいくさに備えて用意しておりました。穆王さまには、昭王さまのようにお戻りにならないようなことがあってはなりませんからな(チクチクと嫌味?)。しかし、まず西へ向かわれるというのであればなお良い。崑崙は神仙の地。並大抵の馬では参れますまい。しかし、この八駿なら話は別。」
造父「紹介しましょう。
- この前列、王よりご覧になって右手の白馬が「絶地(ぜっち)」。地を踏まぬほど早く駆けることができます。
- 続いて後列左、桃の色をした斑駒(ふちこま)が「翻羽(ほんう)」。これは鳥を追い越すことができます。
- 同じく後列右、橙の色をした斑駒。これは「奔霄(ほんしょう)」といいまして、一夜で5,000キロを走ることができます。(穆王「ブツブツ(5,000キロ?キロってなんだ?里じゃないのか?)」造父「王よ、なにか?」穆王「い、いや、よい。続けてくれ。」)
- 前列左は「越影(えつえい)」。みずからの影を追い越すことからこのような名がつきました。
- 中列にて冠を着けております二頭が「踰輝(ゆき)」、そして
- 「超光(ちょうこう)」。この二頭は双子ですがともに光よりも速く駆けます。
- 前列の中央にあるは、「謄霧(とうむ)」。この力強い脚をごらんなさい。これは雲に乗ることができます。かならずや、神仙の棲まう崑崙の山までわれわれを導いてくれましょう。
- そして最後に、わたくしが騎乗させていただいているのが、翼ある馬、「挟翼(きょうよく)」にございます。これは本来は遠く西の地、鹹海、裏海、黒海を越えたあたりに棲む神獣ですが、わたくしの祖先がかつて東へ東へと旅をした時代、ひそかに連れ来たったものです。
穆王「うーむ。なんだかすごいぞ、八駿!!よし、いざ、参ろうぞ、造父よ!!」
造父「は。はっ!(うーん、わたしの祖先の話、もうちょっと聞いてほしかった(-.-)」
穆王西遊
ニシへヒガシヘ♪いやいや、ひたすら西へ。
めざすは崑崙、瑶池!
造父「八駿ども、もっと速く、そしてもっと高く駆けるのだ!」
八駿「(うるせージジイ~ むちゃくちゃ言うな~ おれらにも限界ってのはあるんだぜ~ というか草くいたーい 水のみたーい)
(ロバはいいなあ、ちゃんと水もらえて~)」
造父「ええい、遅い遅い!わしはこの挟翼(きょうよく)と先に飛んで様子をみてまいります。それっ!」
穆王「うーん、さすがもとは騎馬の民の流れを汲むと噂される一族の出だけある。馬に乗って西域に着た途端、十も二十も若返ったようじゃな。」
翻羽「ヒーヒヒ、ヒーヒヒヒ(王さま、なんだかヤバい獣のにおいがするわよ)」
穆王「ん?なんだ?なんだか不穏な気配が…
あ!あれはッ!」
神獣 白虎の眷属か!?
雪豹と老虎が一行に迫りくるッ!
翡翠を守る番人か!?
あやうし、八駿と穆王!
謄霧「ヒーンヒンヒヒ(やーれやれだぜ)」
謄霧「ヒーヒヒヒン!!!(蹴散らしてくれようか!?オラオラオラオラオラオラオラオラオラァッ!)」
穆王「ま、待て、謄霧。あれは!」
神獣か!? 崑崙版、森の王? それとも西のシシガミ(月神)!? いや、まさか、四凶の饕餮(とうてつ)か!? |
穆王「あ、あれは!女だ!
ヒョウ柄の女だ!
ま、まさか…
…地元のギャルか!?」
八駿「(アホか、この王さま…んじゃスルーしたれ、スルー...)」
穆王「ま、待て待て。戯言じゃ、戯言。わからんのか、この朴念仁の馬どもめ。まったく体育だけが5でもいかんぞ。芸能も楽しめ。いいか、笑いというのは、ボケというのはだな、ズレの力学を利用して…(クドクドクド…)」
穆王「もとい、あれこそが、かの西王母ではないか?瑶池金母と称される、神仙の母にして王、永遠の命を与える桃と、王権を与える鉞を持つ、われらが姫一族のあるじ!」
こぞう、よく来たな いかにも儂が西王母じゃ |
西王母
西王母「して、願いはなんだ。不老不死か、それとも、王となるか。この三只眼吽迦羅の秘術を持ってすれば汝を不死人と化して儂に仕わしめることも『可』能じゃが…」穆王「いや、そのような願い、いや一瞬も迷わなかったと言えばウソになるが、わたしには中原を治めるという野望…じゃなかった、使命があるゆえ!」
西王母「おぬし、かなりショウジキなやつじゃな。わるい意味で…。まあ、よかろう。不老不死ではなく、かの『鉞』がほしいというのじゃな。では汝を儂の无(ウー)ではなく婿に迎え…」
謎の声「ちょ、ちょっと待ったっーーー!」
ドドド ゴゴゴ |
穆王「お、お前はッ!楚の熊艾(zh)? 楚王、熊艾(en)なのか!?な、なぜここにッ!」
熊艾「王権のマサカリ、きさまに、周に渡してなるものかあ~~~ うおー」
八駿「(勢いあるな、あいつ。昭王を倒したってのもうなずけるかも。しっかし、名前は熊、旗は鷹、戦車は獅子か?どうぶつ好きなんだな。けっこういいいやつかも。)」
穆王「て、手ごわいな。おのれ、ここまで来て…。無念…。造父よ、すまぬ。おぬしの働き、ここで無にしてしまうやもしれぬ…。」
造父「お呼びか!?王よ!」 |
穆王「おお、造父!挟翼!戻ったか!待ちわびたぞ!(つか、お前斥候失格だゾ~でもまあせっかくの援軍だからやる気を削ぐようなこと言うのはやめよう。おれオトナオトナ。いい上司だからナ。)」
造父「まにあいましたか。さあ、王よ、楚の熊艾とやらを追い返し、西王母さまのハートをズキューンと奪ってしまいましょう!」
穆王「(まじか…こいつ、このヒゲでハートって…)お、おう!おまえがいれば一騎当千。文字通り、一騎当千だな!よし、このわたしも負けていられん。武王以来と言われたこの技、受けてみよ!」
姫家一子相伝 王斧虚空閃!!! |
楚王と楚兵「う、うわー。こりゃかなわん。ひとまず退却~退却~。長江の源流に飛び込め~。洞庭湖まで一気に下れ~。」
(って、ご先祖様、すげーんだけど、なんつー技名っすか、これ…イタいっす…)
楚王熊艾「あー、あとちょっとだったのに!北の連中、いつもうまいところで~ 涿鹿のときもそう! うーん、くやしいゾ!」
穆王「ふう。」
西王母「なかなかやるな。あれは幻影。おぬしの力を試した。まことの王にふさわしいかを。姫姓の名をけがさぬおとこであるかどうかを。」
穆王「…なるほど。(げー、かわいい顔して性格わりーなー)」
西王母「性格はわるくない。実際、やつらは山の麓まで来ていた。幻影といっても、幻であって幻でない。そもそも夢と現(うつつ)の差などそのようなもの。単なる確率の問題よ。つまり量子論にいうところの…(クドクドクド…)」
西王母「よかろう、汝を儂の魂の夫君として、また中原の王として、認めよう!
この鉞(マサカリ)を授ける。励めよ。」
穆王「は、ははーっ!!!」
穆王「よし、凱旋だ!」 造父「心得た!」 |
造父「は?何か仰せか?王よ?」
穆王「ま、いっか。いーえ、なんでも。さあ、ゆくぞ!」
造父「このまま中原、いや天地四方へ文字通り駒を進め、全土を巡撫してやりましょう。その鉞を、民にも見せて回るのです。ききますぞ~。」
穆王「お、いいねえ!ナイス提案!(やったー!旅行だ旅行だ!大旅行だ~!うまいもの喰うぞ~)」
王鉞凱旋
穆王「南方は珍獣が多いなあ。」
造父「いかにもいかにも。」
穆王「…どれが一番うまいかなあ。」
造父「王!やめてくだされ!怪しげな薬膳なぞ効きませぬぞ!」
穆王「そ、そうか…。ショボーリ。」
造父「…。それより王よ、鉞を!」
穆王「…どれが一番うまいかなあ。」
造父「王!やめてくだされ!怪しげな薬膳なぞ効きませぬぞ!」
穆王「そ、そうか…。ショボーリ。」
造父「…。それより王よ、鉞を!」
穆王「うむ。キンチョウするなあ。」
穆王「まことの鉞!周の世よ、栄えよ!」
大陸を駆け巡った穆王と造父、そして八駿。
王の手には常に、まことの王鉞があった。
エピローグ 仙女たちの瑶池
仙女A「お母さま、ほんとうにあの者でよかったのですか?なにやら少々あたまが春めいたと申しますか…」美猴王「ウキキ、ウキキ(アホだ、あれはアホだ!)」
西王母「よいのじゃ、緑衣仙女、いやわが娘、天羽よ。」
仙女B「イケメンでしたものね。」
西王母「黄衣仙女、いやわが娘、天庆よ…。そこではない。わらわはあの者には不安はないが、おまえのことは心配じゃ。」
仙女C「あら、いいじゃない。王となるお方。あたしもそのような方と話がしてみたかった。」
西王母「紫衣仙女、いやわが娘、天显よ。それはダメです。あの者は、わらわの夫君となったのだからな。ふふん。」
七仙女「お母さまは毎度毎度ズルいですよ!」
蘇妲己「あらあら。わらわはやはりあの者は気に入りませんでした。なにせ、紂王さまを討ったにっくき姫発の裔ですよ?なにもあのような者に…。」
王貴人&胡喜媚「そうよそうよ。お義姉さまがかわいそうですわ。」
キツネ「ヤップユルルル。ヤップユルルル。(同意!同意!)」
西王母「おだまりなさい。キツネ、石琵琶、雉よ。 女媧娘娘とてそもそも紂王ならびに商王家を滅ぼすことをお決めになったからこそ、そなたたちを下界に送ったのであろう。使命を忘れて色恋にうつつを抜かすでない。そもそもわらわは、"中原の王"としか言っておらぬであろう。楚、呉、越の地はこれまた別の…。(クドクドクド)」
蘇妲己&王貴人&胡喜媚「きーーー!妖怪仙人だからってバカにして!これだから崑崙の石頭はイヤなのよ。」
西王母「これこれ、そうではない。わらわが言っているのは、わらわも、そなたらも、同じということじゃ。中原の覇権を左右するのは、常にわれら女性(にょしょう)じゃ。女媧娘娘以来、そういうことになっておる。
そしてほれ、ここにいるこの娘もまた同じ。」
七仙女&三妖仙「王母さま、この娘は?みたところ、神仙でも妖仙でもないような…?」
西王母
「そう。この娘はまぎれもなく人じゃ。しかしこの先、幾たびも幾たびも、歴史のはざまに現れ、そうして中原を動かすであろう、女(ヒト)じゃ。かつて妲己、そなたがそうであったようにな。」
娘「はい、瑶池金母さま。わたくしは虞氏、武氏、楊氏の娘、あるいは異族の娘として時折中原に現れ、金母さまの思うが儘、かの地を動かしてまいりましょう。
あなた様の忠実なる无(ウー)として。」
西王母「うむ。頼んだ。しかしゆめゆめ、わたくしごとの野心にとらわれるでないぞ。」
娘「はい(う、もうバレてる…。)」
仙女&妖仙「えーーーーー。ズルいーーーー。」
西王母「はははははは。さしあたっては娘よ。无よ。かの楚王の地に降りて、さっそく虞氏と名乗り、楚王に近付いてみてはどうか。
いや、待て。それはもう少し先にしようか。かの王も、鉞を以てしても何もなせなかったとなればわらわの沽券にもかかわる。そうじゃな、700年少々、30世代そこそこは、王統を見守ってやろうかの。
しかしそれもまた退屈だな。よし、途中、あの御者の老人、なんと言ったか。造父か。あの者の裔が、穆王の裔よりも力を得るというのはどうじゃ?7、8世代あと、200年ほど先がよかろう。」
娘「金母さまもお人がおわるい。ではおわるいついでに、その御者の裔の国の都に降りて、邯鄲の趙姫、などと名乗ってひとあばれすることも、お認めいただければ。」
西王母「よいよい、好きにせい。よき王をみつけたら、こちらによこせよ。そうでないものは、ぬしが好きにいたせ。」
娘「は。ではさっそく下界へ降りる準備をいたしましょう。狙うは700年先。穆王の王統を、わたくしが美しく絶やしてみせましょうぞ。」
西王母「あまりやりすぎるでないぞ、娘よ。はーーーっはっはっはっは。」
仙女&妖仙「(ダメだ、、この二人はコワすぎる。逆らわないようにしーよっと。)うふふふふふ。」
-完-
エンドロール
『新説・穆天子伝 -西の姫、東の王-』
- 穆天子こと周第五代穆王(カスタム 古代の戦士)
- 本体 : 4677 蛮族の戦士(special)[ヒゲなし
- 髪 : 4592 原始人
- 斧 : 不明
- マント : 4659 青マントのローマ戦士 より
- 造父(カスタム サカ族の老人 a.k.a. 塞翁)
- 本体 : 5493 アドベント カレンダー 龍宝の戦い より 魔法使い
- 弓 : 不明(fi?ures series 5 ボーイズ1 サムライ の弓と同等品)
- マント : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 余剰アイテム
- 西王母(カスタム/温泉前屈式)
- 顔 : fi?ures series 2 ガールズ 8 クレオパトラ
- 髪、髪飾り、胸部 : fi?ures series 2 ガールズ 5 ジャングルの少女ジェーン
- 脚部 : 4685 マサイの戦士(special)
- 穆王八駿
- 土を踏まないほど速く走れる「絶地(ぜっち)」 : 6257 3頭の馬 よりアラビア種?
- 鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」 : 5448 森の妖精ダイアナ より 馬
- 一夜で5000kmを走る「奔霄(ほんしょう)」 : 5449 森の妖精スーリヤ より 馬
- 自分の影を追い越す事が出来る「越影(えつえい)」 : 6257 3頭の馬 よりハノーヴァー種?
- 光よりも速く走れる「踰輝(ゆき)」 : 4244 エジプトの二輪戦車 より 馬
- 光よりも速く走れる「超光(ちょうこう)」 : 4244 エジプトの二輪戦車 より 馬
- 雲に乗って走れる「謄霧(とうむ)」 : 6257 3頭の馬 より シャイア種?クライデスデール種?
- 翼ある馬「挟翼(きょうよく)」 : 5144 銀色のペガサスとお姫様 より 銀色のペガサス(装飾なし)
- 楚王 : 7536 盗賊騎士団のリーダー(add-on) ^_^;
- 楚の兵士 : 7537 三人の盗賊騎士団
- 虎 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より トラ
- 雪豹(特別出演) : Safari 237529 ユキヒョウ(親)
- 饕餮(特別出演) : Collecta 88641 マーコール
- 美猴王 : fi?ures series 2 ガールズ 5 ジャングルの少女ジェーン より サル
- 七仙女
- fi?ures series2 ガールズ オリジナル組み換え(6,10,8,4) →紫衣仙女
- fi?ures series3 ガールズ オリジナル組み換え(7,10,6,8)
- fi?ures series3 ガールズ カスタム組み換え(4,6,8ほか)
- fi?ures series1 ガールズ 2. 妖精 →黄衣仙女
- fi?ures series2 ガールズ 1. ティンカーベル →緑衣仙女
- fi?ures series4 ガールズ 3. 妖精
- 7463 妖精と小鹿(add-on) より 妖精
- 妖怪仙女
- 蘇妲己(キツネ仙女) : 5448 森の妖精ダイアナ
- 王貴人(石琵琶仙女) : 5449 森の妖精スーリヤ
- 胡喜媚(キジ仙女) : 4592 原始人(special) 改 女性バージョン
- キツネ : 5448 森の妖精ダイアナ より
- 謎の娘(百の名を持つ无) : fi?ures series 6 ガールズ 5 チャイナガール with 酒杯
- 車輛協力 :
- 周のチャリオット : 4244 エジプトの二輪戦車 より
- 楚のチャリオット : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より
- 岩 : 不明
- 翡翠 : 6216 宝箱と宝石箱(add-on) より 緑の宝石
- 王権の斧 : 不明 斧の戦士のいずれかより
あとがき
八頭立ての馬に乗って遠く崑崙の山を目指す王と御者。そこには、王権を授ける不思議な力が存在した!・・・という設定でご覧いただきました、新説 周王朝伝。ただこれ、みなさん「???」な演目だと思いますのでまずは解説を・・・。
竹簡の発見
『穆天子伝』とは、周王朝第五代の王 穆王を主人公とした古代の伝奇小説です。「周王遊行」の異名からもわかるように、穆王在位中の外征を旅行記仕立てで表したもので、晋の時代、紀元前の戦国時代に存在した魏の襄王の墓が盗掘された時に、竹簡の形で発見されたと伝えられます。墓から発見された竹簡ということで「汲冢書」あるいは「竹書紀年(Bamboo Annals)」として知られるこの書物は75冊の本に整理され、うち5~6冊が『穆天子伝』と呼ばれる部分となります。長い歴史の中で多くの研究者が挑戦してきたこの書物。21世紀に入ってからの研究では、中国西部の少数民族の伝承を集めたものが元であり、後に魏国史官が整理したものであるとの見解もあるとか。
この中で、穆王は史書に残されたような征戦とともに、"pax fantasica"な冒険もやってのけています!
それが、西王母訪問。
西王母の正体
西王母は道教で信仰される神(女仙)のひとりで、崑崙山に棲み、不老不死を司り、霊薬である仙桃を持ち、瑶池[ようち]という池で宴を催す、、、といったところでしょうか。瑶池金母とも呼ばれます。有名な『西遊記』ではこの宴("蟠桃会")の際の乱暴や粗相が原因で斉天大聖、捲簾大将、天蓬元帥の三人が天界を追放されるエピソードがあります。(追記:写真で西王母の左腕にさばりついているのが美猴王つまり後の斉天大聖孫悟空です。)また、七夕の伝説や羽衣伝説の元となった、東方のプレアデス七姉妹ともいうべき七人の仙女は西王母と玉皇上帝の娘だと言われています。河惣益巳の『火輪』などにも登場するなど、まあ仙人の中では一二を争うほど知られた存在でしょう。。。最近では太公望呂尚こと姜子牙のほうが有名という話もありますが^_^;
で、このように、道教の主神のひとりで仙女たちを統べる西王母。当然絵に描いたような天女の描写が知られるわけですが、本来は「天厲五残(疫病と五種類の刑罰)」を司る鬼神であり、ビジュアル的にもおどろおどろしい姿をしていました。(geneも大好きな!!!)古典『山海経』の西山経及び大荒西経によると、
- 西山経より
- 「又西三百五十里,曰玉山,是西王母所居也。西王母其狀如人,豹尾虎齒而善嘯,蓬髮戴勝,是司天之厲及五殘。」
- 大荒西経より
- 「西海之南,流沙之濱,赤水之後,黑水之前,有大山,名曰崑崙之丘。有神,人面虎身,有文有尾,皆白,處之。其下有弱水之淵環之,其外有炎火之山,投物輒然。有人戴勝,虎齒,有豹尾,穴處,名曰西王母。此山萬物盡有。」
ま、実際のところは、西域の山岳地帯の女権的な部族の族長が、ユキヒョウの尾のアクセサリーやベンガルトラかシベリアトラかは不明ながらトラの毛皮をまとっていた。きっとその部族は玉(つまり翡翠)の採れる地域を支配していて、族長もかなりキラキラだったのだろう、とgeneは考えます。そういう記憶や伝承が、西域の少数民族を通じて魏に伝えられ、『穆天子伝』に掲載されたのでしょう。
王権の確立のために
さて、この西王母のいる崑崙へ、われらが穆王は訪れ、彼女の美貌の虜になったのか時の経つのも忘れるほどだったとか。しかし彼の訪問の本当の目的は不老不死。そう、西王母の不死の薬、すなわち桃をもらいに来たのでした。・・・ってことになっています。
実際はどうだったのでしょうか?
geneは、「玉」を採りに来たのだと考えています。それも特別な玉。それは、中原の王権を立証し保証する、王の証たる玉。
穆王の前王は、何やら怪しい形で王座を失っています。なんでも南方の楚を攻めている途中に行方不明になったとか・・・。それで穆王が仮の王座に就きます。やがて前王の戦没が確認され、穆王は正式に王座に。うーん、、いかにもアヤシイ・・・。いかにも穆王がなにやら非合法な手段で王座を奪った感がアリアリです。戦場でこっそり前王をえいっとなきものにしちゃったのか、追放しちゃったのか。。。
とにかく、穆王の時代のはじめ、彼の権威は万民に認められる正統性を欠いていたんじゃないかと思うのですね。そして、それを補うために、前王は持っていたけど穆王が持っていなかったもの、「王の玉」を手に入れる必要があった。そしてそれは、西王母の治める崑崙でのみ、手に入れられる。穆王の治世を永遠のものにする-不老不死の王権になる-には、西王母の力が必要だった。
もしかするとこの時期、中原の勢力よりも西のほうにいた民たちのほうが、財力に富んでいたのかもと思うのですね~。貴重な玉資源を抑えることによって。 そして、かつての女系的世界-中原の初期の姓はほとんど女偏が付きます。つまり婿入りで系譜をつないでいます。周も「姫」姓です。そもそも「姓」が女偏ですね!-の伝統と西王母国の財力との合わせ技により・・・
「中原の王を決めるのは わらわの力ぞえ!!」
とね。
ここではさらに、白川静の字源より「"王"という文字はマサカリの形象である」という考えを採用させていただいて、王権を保証する玉製のマサカリが、まさに西王母から穆王に授けられようとしているシーンを再現してみました!!!穆王のラストの写真、どうでしょう?マサカリは「王」の字に見えましたでしょうか!?
・・・あー、ながかった^_^;^_^;^_^;
注:このあたり、なぜ女権部族が王権を保証するか、なぜその部族が西にいるのか、なぜ玉だと言えるのかなどを語っているとさらに長くなるのでまたの機会に・・・m(_ _)m 月氏・禺氏・玉氏とかそのあたりの話です。
穆王の馬
ところで無事王権を保証してもらえたらしい穆王ですが、では彼はいったいいかにして、神の領域である崑崙に赴くことができたのか??ここで登場するのが、写真にある"八頭立てのチャリオット"だっ!
穆王は、中原全土を巡撫巡回するべく、駿馬いや神馬ともいうべき八頭の馬、いわゆる「穆王八駿」を所有していました。 それは
- 地面を踏まないほど速く走れる「絶地(ぜっち)」
- 羽のある鳥を追い越せる「翻羽(ほんう)」
- 一夜で5,000kmを走る「奔霄(ほんしょう)」
- 自分の影を追い越す事が出来る「越影(えつえい)」
- 光よりも速く走れる「踰輝(ゆき)」
- 同じく「超光(ちょうこう)」
- 雲に乗って走れる「謄霧(とうむ)」
- 翼ある馬「挟翼(きょうよく)」
そして、それらが牽く戦車 [chariot] を御するのは名御者 [charioteer]の造父。穆王と共に天地を駆け、中原全土のみならず崑崙も走破した彼は、後に天まで駆け上がり、八駿と共にケフェウス座となったと言います。ケフェウス座とは、王妃カシオペアの夫にしてアンドロメダ姫の父であるあのケフェウスをかたどった北の星座です。
御者の末裔と"胡服騎射"
さらに、別の物語はこう伝えます。やがて中原に戻った穆王は、造父の功績をたたえ、彼に諸侯の地位を与えました。戦車長から爵位へ!城砦都市の長へ!大出世ですね!それが、後の「趙」。そう、春秋時代の名門「晋」から独立した三国(韓・魏・趙)のひとつで、戦国時代に強勢を誇ったあの「趙」です。
「趙」は北方の異民族「匈奴」と接していたため、早くから長城を築き、都市の防衛に苦心してきました。やがてある王が、敵である匈奴の風習を逆に見習うことでより優れた戦術を獲得しようとしました。それがいわゆる"胡服騎射"。"胡服"とは異民族の服装ですが、つまりはパンツ/ズボンです。これを身に着け、馬に乗り、弓を射る。これまでの戦車よりも機動力に富み、険しい地形にも対応できます。この戦術を身に着けた「趙」は、将軍 李牧 の指揮下に、匈奴の軍勢を追い払うことができたと言われています。
この新しい戦術を取り入れるにあたって、軍の中枢を担っていた趙の貴族層には反発があったと言われています。文明人の貴族の象徴である戦車(chariot)を捨て、蛮族だと考えていた敵の服装や戦法を見習うのはイヤだというわけです。
まあそれもそのはず。
なにしろ、御者/戦車長/charioteerの築いた国だったのですから(笑)
ただ、実際には順序が逆の可能性もあるとgeneは思います。つまり、"胡服騎射"を取り入れたことにちなんで、その対極にある戦車を国の発祥の説話に持ってきた、ということです。戦車に始まり、騎馬に終わるわけですね。物事の因果関係が逆転するのはこうした由来説話の常ですから。
「趙」国の遠い親戚 -「秦」国-
ところで、この「趙」国。王姓はそのもの「趙」。しかしもともとは「嬴(えい)」姓。つまりなんと、後に戦国時代を終焉に導いた「秦」国と同じ。永遠のライバルであったこの両国、実は祖を同一にしている(と伝承は言う)のですから驚きです。商王朝/殷王朝の末期、最後の王である紂王の臣下に 蜚廉(ひれん) と呼ばれる嬴姓の人物がいました。彼は長男ともども紂王に仕えますが、最終的には周による革命の際、紂王・蜚廉・そして長男はともに滅ぼされてしまいます。このため、嬴姓の一族は二男が継ぐことになりました。その二男 季勝 の孫にあたるのが、あの 造父 です。その後、造父は、周の穆王の時代に(下級のという意味なのでしょうか??)戦車長として仕え、功績を認められ、再び諸侯の座に返り咲き、「周」「晋」に仕える時代を経て、「趙」につながった、とこういうわけです。。。ながい。。。
一方、滅ぼされた長男の系統も、消え去ったわけではありませんでした。西でなんとか命脈をつなぎ、やがてふたたび表舞台に返り咲きます。それが「秦」国です。
紀元前770年、周の十二代幽王は暴政の結果、諸侯の恨みを買い、諸侯の一人申公の誘いを受けた西方の異民族によって首都を奪われ、東方へ落ち延びます。。この異民族とは「犬戎」。当時、陝西、四川、甘粛、チベットあたりに棲んでいた遊牧の民です。
この時、「秦」の襄公は周の十三代平王を護衛した功績が認められ、諸侯の列に加わりました。正式に、「秦」国となったわけです。始皇帝こと嬴政よりさかのぼること数十代^_^;^_^;^_^;、秦の統一よりさかのぼること約550年という時代の、
お・は・な・し。 おはなし~
ま、実際には、都を陥落させた"戎"と、逃亡政権側について守ってやったという"秦"と、似た者同士でしょうけどね^^ いやいやそもそももとをただせば、岐山の麓にいたころの"周"も、です。戎ははじめ周に従っていたようですが、穆王の時代に戎の討伐を敢行。結果、戎からの貢物が途絶えたと言われています。
長すぎてわからないこのあたりの系図はこちら
この系図をみると、「趙」国の祖である 造父 が、「秦」国の一族の系図に接ぎ木のようになっているのがわかります。戦国時代、中原の西北にあって、北方や西方の遊牧民とも密に接しつつ互いに熾烈な戦いを続けた「趙」と「秦」。実は同姓の同族だったのですね~
楚の国の伝統
さて。ここで話はまったく変わって、短編の『菖蒲!尚武!勝負!』のほうの解説に入りたいと思います。(注:長編が長くなりすぎたため、写真はこちらのものをご覧ください。)
ここまでは、「魏」の記録をもとに、「商」「周」「秦」「趙」に絡んだ伝承を追いかけてきましたが、ここからは「楚」の話となります。
みなさんは、ドラゴンボートをご存じでしょうか?龍舟と言ってもよいでしょう。ほかにペーロン(白竜)、ハーリー(爬竜)という名もあるそうです。大陸の東南部、長江流域にある巨大な湖、洞庭湖のあたりを本場とするカルチャーで、ちょうどこの季節、村々のチームが船に乗り、その速度を競い合います。
そのお祭りこそが、「端午の節句」。
そもそもは、戦国時代の「楚」の宰相であった屈原。『楚辞』で知られる詩人であったほか、楚の王族に連なる名門出身の政治家でもありましたが、「秦」につくか「斉」につくかをめぐっての政争に敗れ、ついには汨羅(洞庭湖に注ぐ長江の支流)に身を投げてしまいます。周辺の民はボートを仕立てて屈原を救出に向かいましたが時すでに遅く、救い出すことはできませんでした。人々は屈原をしのび、竹の葉で巻いた米を川に投げ入れ、屈原をとむらったといいます。
そう、これがドラゴンボートと粽(ちまき)の由来です。
やがてこのお祭りは、旧暦五月五日に竜船を並べて屈原を悼むという祭りへと変遷。
もっとも、粽と屈原は本来関係がないとか、端午の節句自身の由来についてもいろいろな説があるようです。
端午。マンダリン(官話)でdaunwu。広東語(粤語/えつご)ではTuen Ng。恥ずかしながらgeneはかつて、仕事でお付き合いのあった台湾出身で北京在住の方から、日本では"ドンウー"を祝わないのか?と問われ、知らない、祝わないと思う、と答えてしまいました。あとで調べて赤面。。そして後悔。。ああ、思いっきり祝いますよ!こいのぼりを掲げて!・・・同じ東方の文化、同じ漢字の言葉、と思って知った気にならず、いろんな地域の方言での発音を知っておくべきだなあと実感したエピソードでした。
端午の節句、大陸ではドラゴンボート、列島ではこいのぼり。これ、どちらも鱗のあるいきものを水または空に流すという点で、おそらく源流は同じと思われます。鯉は瀧登りをすると龍になるわけですから。ちまきとともに、照葉樹林文化の一端を担うとも考えられるお祭りです。
なお、五月五日のお祭りは、そこで飾る菖蒲が尚武と音が通じることから、後の武士の時代においてもてはやされたそうです。というわけで、鎧武者の演目としてみました。
南蛮の国 「楚」
さて、では「楚」はどんな国だったのでしょうか。その起源には、黄河文明の末裔であるとする北来説と、長江文明の流れを汲むとする土着説があり、いまだ決着がついていないとか。おもしろいところです。「周」の時代の遺跡や文献をみると、周の王族や諸侯が封建されて周の文化を遺したことがわかるようですが、一方で、長らく北方の政権や民族から、「南蛮」と称され、蛮族の国として蔑まれてきました。実際、この地域のみで使われいた文字があったり、貨幣の形態が北方の国々とは違っていたり、王族の名("熊")や墳墓の風習からわかるように動物崇拝が強い地域だったり、と北方とは違う特徴もあります。
有名な故事成語"四面楚歌"は、秦末の劉邦と項羽の戦いの際、項羽が周囲を囲む兵が楚の歌を歌うのを聞き、包囲網が楚の兵によって築かれていること、つまり、すでに味方がすべて寝返っていることを悟る、という由来ですが、ここには楚の歌は漢の歌とは違った、という意味が込められているようにgeneは思います。屈原で知られる楚辞にしても、北方とは違った南方の詩文、音律であり、独自の文化があったことはほぼまちがいないでしょう。
また、秦始皇帝なき後、ただちに楚の地から項羽の勢力が立ち上がったことから、秦の統一時においても実質的には独自の政治経済文化圏を保っていた可能性が考えられます。そもそも、周の時代にしても、後世に理想化されたことであたかも広大な領土を持っていたかのように思われがちな周は、実際には黄河流域を支配するにすぎず、後の「呉」「越」などの地と同様、「楚」も独立を保っていたというほうが現実的解釈でしょう。その証拠に、周が衰亡して戦乱の世になったとき、一番に王号を名乗った-つまり周の権威を否定した-のが、楚でした。
注:周代、秦代にその統治が楚まで及んでいなかった、ということに似た例として、漢代においても越はほぼ独立政権であったことがいえます。
漢の外交官であった張騫は、大月氏との同盟を結ぶべく西域に赴きますが、途中で敵国である匈奴にとらえられてしまいます。そのとき、匈奴の単于は「われわれの使者がお前の国の向こうにある越国に同盟を申込みに行こうとしてお前の国を通ったとして、おまえはみすみすそれを通過させるか?」と問いました。つまり、匈奴の単于の観点では、越は漢とは異なる国で、場合によっては対漢戦略の一環で同盟を結びうるような勢力だったと言えます。
穆王の真相
こうしてみると、周の五代 穆王をめぐる伝説がおぼろげながらに姿を現します。「商」の末期。紂王を討ち、都市国家ネットワークの主導権を奪ったのは、岐山の麓にいた西の「周」とその同盟部族「羌(姜)」。羌は商の都でいけにえに供されていたとも言われますが、つまり勢力の衰えた商を、"姫姓の周"と"姜姓の羌"で打倒したということでしょう。その周は、はじめは犬戎など西方の戎と仲良くやっていましたが、やがて穆王の時代になると何やら不穏な動きが・・・。
穆王は、前王(昭王)、楚、戎を圧倒して、新しい秩序を確立しようとしたのでしょうか。南方で強勢となった「楚」と前王 昭王がはげしい戦いを繰り広げる中、穆王は、後の「趙」の始祖となる造父のチャリオット軍団をさそってクーデタを敢行!!
さらにその勢いを駆って一気に楚を平らげようとします。しかし、そのためには強力な同盟軍が必要。それは西の民。しかも、これまで同盟してきた羌/戎ではなく、そのさらに向こうにいる富裕な部族、つまり
---西王母の民---
玉の交易を独占し、周に届く玉を取り仕切っていたであろう羌/戎を追い払い、西王母との直接交易を試みたといってもよいでしょう。羌/戎は昭王派だった、あるいは楚に近づいていたという可能性も考えられます。
こうして遂に、穆王は西王母との対面を果たします。
ヒスイで造った王権のマサカリを手に入れた穆王は、周の中興の祖と言ってもよいかもしれません。