Jan 2015 - p1/p5 -
Happy New Year! 2015!The year of Sheep~!
早いものでここ"pax fantasica"も、開設以来1年が過ぎ、月替わり演目としては3年めに突入しました。2015年もどうぞよろしくお願いします。
さて、2014年の最後を締めくくったのは、北欧神話とキリスト教の歴史のコラボ。そして、年も改まっての第一弾は、ひさびさのギリシア神話です!しかもなんと、1月、2月と連続でギリシア神話を予定。お楽しみに。
第一弾はこちら、ヒツジ年にちなんだ特別企画、
『PBC地球伝説 ~スキタイの子羊、その深層に迫る』
すでに真相はとっくに明らかになっている"あの伝説"を題材に、新たな解釈、すなわち"深層"に迫ります。オレは、ホントウの真実が知りたいだけなんだ~。
前編 - 『スキタイの子羊』 -
やあ皆さん、こんにちは。PBC - Pax Broadcasting Company presents『PBC地球伝説』のお時間がやってまいりました。
きょうお送りするのは、新春特別企画、『PBC地球伝説 ~スキタイの子羊、その深層に迫る~』。
ご案内はわたくし、プロデューサー兼ディレクター兼カメラクルー兼ナレーターの、チェ・グァンウ(崔 観宇)です。普段は韓国のソウル大学校で人類学の研究をしています。
植物子羊
さて、賢明なる視聴者の皆さんは、すでにご存じでしょう。かつてヨーロッパには、アジアのどこかに、樹に生えるヒツジがいる、ヒツジの生る木がある、こんな伝説が流布していました。
黒海を越えた向こう、いわゆるスキタイの地に生えるといわれたこのフシギな樹、すなわち「スキタイの子羊」は、バロメッツあるいはボラメッツと呼ばれ、長いこと、実在の動物?いや植物?と信じられてきたのです。
こんな感じで?
スキタイ、つまり、サカ族の地に?
そのヒツジは樹からぶら下がって届く範囲の周囲の草を食べているといいます。
いや~、なんともブキミです。
ワシ、みたことないヨ
あと、ブキミなのは、プレモのヒツジがそもそもブキミなんじゃないの?眼がコワいヨ、眼が。
チウゴクのシダ
動物にして植物、そんな存在はありえない。こうして、植物子羊の正体を突き止めようとする博学な人々が現れる中、その答えは意外な形で解き明かされました。
なんと、植物子羊にそっくりなオモチャが、遠くチウゴクからヨーロッパにもたらされ、これがある博物学者の眼に留まったのです。
それは、ある種のシダ植物を加工したもので、粗雑な物から精巧な物まであったようですが、シダの茎状部分に生える細かな繊毛を動物の毛に見立てて作られた、イヌのおもちゃでした。
「これぞ植物子羊じゃ!これが正体じゃ!」
なーんだ~
というわけで伝説の真相はあっけなく解き明かされ、人々は次第に、その珍奇な植物動物の話を忘れ去っていきました。
しかし、チウゴク南部でお土産物として制作されていたらしいこのオモチャ、ホントにバロメッツの正体だったのでしょうか??
そもそもバロメッツは、スキタイの地、つまり中央アジアの西北部にあるとされてきました。シダ植物の生育地はむしろもっと湿潤な地域です。そしてこのオモチャの製作地であったチウゴク南部はあまりにも遠い。
さらにこれ、ヒツジではなく、イヌなんです、このオモチャは。
誰もが信じてしまった、「スキタイの子羊=シダで作ったチウゴクのイヌのおもちゃ説」ですが、なんとなく、強引な気もしますね。
ヘンリー・リー
そんな中、この問題に真剣に取り組んだ人物がいました。19世紀英国のナチュラリストにして著述家、ヘンリー・リーさんです。
リーさんは、「ニッポン人がサルとサカナから作った精巧な人魚が、世界の人魚伝説の正体ではないのと同じように、チウゴク人がシダから作ったおもちゃが「スキタイの子羊」の正体ではありえないっ」と考え、伝説の真の真相に迫らんとします。
そうして、リーさんは見事解き明かしました。
バロメッツは、やはりシダではなかったのです。
実はバロメッツの正体は、やっぱり植物だったのですが、シダなんかより(と言ってはシダに失礼ですが)、わたしたち人類の文明にとってもっともっと重要な、とても重要な、ある植物でした。
鍵は、なんとインドにありました。
チウゴクではなく、インド!
ではわたしも、ちょっとインドへ、行ってみることとしましょう。
バロメッツの正体
いやー、暑い。
インドはさまざまな気候帯を含んだフクザツな大陸ですが、このあたりはホントウに熱いですねえ。
あ、あちらから、サリーを着た女性が近づいてきましたね。
ちょっと話を聞いてみましょう。
すみません、ちょっと伺いたいのですが、それ、素敵なサリーですね。
ありがとうございます。
こちらは、シルク?
ええ、そうです。お気に入りなの。
確かに。とてもセンスのいい柄だし、それに気品があります。サリーは素敵ですね。
一口にサリーと言っても、ほんとうにたくさんの種類があります。ここインドだけでなく、スリランカ、ネパール、パキスタン、バングラデシュ、アフガニスタンなど各地で着られていますし、地域ごとに素材も、柄も、着こなし方もずいぶん異なりますヨ。
というと、サリーがすべてシルクって訳ではない?
もちろんです。いまでは化学繊維も含めて様々な素材が使われています。もっとも、伝統的にはやはり、シルクとコットンが中心でしたね。
え?いまなんて?
シルクと、
それから
コットンです。
コットン、つまり、綿ですね!
ええ。
そういえばインドは、"マドラス綿"をはじめ、綿花の生産で有名ですよね。
そうか、あまり見たことなかったけれど、サリーは絹のほか、綿でも織られていたんですね。
綿花。
近代になってからもインドの主要な生産物、輸出物として知られた綿花。
実は古代世界においても、アラビア語圏、ペルシア語圏、そしてヨーロッパに至るまで、インドの綿はひろく利用されていたと考えられています。
綿は、綿花、というくらいで、植物から採れます。
綿の木になった実がはじけると、中にこんな風な、ふわふわの綿が出てきます。これを集めて、そして紡ぐことで、綿糸を作りだすことができるんです。
もう、おわかりですよね。
樹にヒツジがなっていたわけではなかったんです。まるで、ヨーロッパにおけるヒツジ=羊毛と同じように衣服や絨毯に活用される繊維が、インドやアジアでは植物から採れていた。これこそが、植物子羊、つまりバロメッツの正体だったんです。
そういえばインドは、旧くはアレクサンドロス大王の遠征によってギリシア世界とも接触しましたし、その後は、中央アジアを駆け抜けた騎馬民族スキタイが、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインド亜大陸にまで進出し、いわゆるインド・スキタイとも呼ばれる文明、文化、国家を築き上げました。
インドの綿はもしかすると、このスキタイの勢力圏を通り、彼らの通商隊によって、ヨーロッパにもたらされていたのかもしれません。
しかし、ここでわたしはあることに、気が付きました。そう、ギリシアです。
ヨーロッパにはじめてスキタイのことを紹介したのは、ギリシア人だと考えられています。有名な、ヘロドトスの『歴史』やストラボン、プリニウスなどの地理書に、スキタイ、すなわちサカのことが書かれています。
と同時に、わたしは、あるヒツジについての伝説を、発見しました。
次回、後編では、インドを離れて、この「ギリシアの羊」を、追いかけてみることにしましょう。