Dec 2014 - making of -
あとがき
はじめに
ほぼ三世代、家族写真コーナーも含めると最大五世代に渡る長編大河。登場する地域を現代の国名で表すと20か国を超える*大作になりました。
*プロローグの少々ムリヤリなラトヴィア、フィンランドも含め、登場順にエストニア、スコットランド、ロシア~ウクライナ、ポーランド、オーストリア、ドイツ、スイス、デンマーク、ノルウェー、アイルランド、イングランド、アイスランド、デンマーク領グリーンランド、カナダ、アメリカ、スウェーデン、チェコ、ブルガリア、フランス、イタリア、家族写真でハンガリー、ルーマニアと25か国・地域。
時代はおおよそ10世紀から11世紀。ヨーロッパ西部ではローマの滅亡から時を経て、フランク王国、神聖ローマ帝国と覇権が移り行き、地中海地域のラテン語文化やキリスト教がだんだんと北の果てにも波及していった時代、
しかしまだ北の部族の伝統や習慣も根強く残っていた時代。スカンディナヴィアをはじめ北の地域が徐々にキリスト教を受け入れていく時代の物語を再現。
脚本化(笑)にあたっては、アイスランドにてSnorri Sturlussonによって古ノルド語で書かれた著名なサガ『Heimskringla』、中世ドイツの歴史家Adam of Bremenによって書かれた年代記『Gesta Hammaburgensis Ecclesiae Pontificum』、St Omerなる僧侶によって王妃/母后エマのために書かれたという『Encomium Emmae Reginae(通称 エマ賛辞)』などを参照した英語版Wikipedia記事群を元にしました。
Sigrid the Haughty and the Cnut the Great
実はこの大河。もともとは第三部、第四部に登場している女王シグリッドとその義理の息子クヌートが主人公となるはずでした。いや、実際彼らは主人公なのですが、もともとは彼らの時代だけになる予定、シグリッドを中心にすえた物語とする予定だったということです。
この一年、おおいに盛り上がった『アナと雪の女王』のエルサについて考えるうちに行きあたった、あれ?これがエルサじゃないのか?というある女性。それがシグリッド。
6月の演目『Fashion Week! MALTA GIRLS COLLECTION』にて印象クイーンの座を射止めていただき、特別記念映画にも出演してもらいましたがなお飽き足らず、その本来の姿に迫ってみようとしたわけです。
………Sigrid the Haughty。またの名をŚwiętosława。
北海の女王、いわば西王母に対しての北王母、いや、北欧母ないしは北央母と言ってもよき存在の彼女は、ポーランド王(当時正確にはポーランド大公)とボヘミア王女のあいだに産まれ、はじめスウェーデン王の妻となり、その亡きあとはノルウェー王の求婚をガツン!といなしてデンマーク王と再婚し、二人めの男の子を産みます。
それが、Cnut the Great、すなわちクヌート大王。
いわゆる北海帝国の創設者にして、デンマーク王兼ノルウェー王兼南スウェーデン王兼イングランド王。そう、イングランド王まで兼ねたことにより、いわゆる北欧の領域を超えて北海沿岸に巨大な勢力圏を築いた、北の海の王、北の海賊王、それこそがクヌート。西北の海にて、東の張 保皐や徽王 王直のような大海上帝国を一瞬築いた存在。そのような力をいったいどのようにして手に入れたのでしょうか?…
…謎のポーランド戦士
1015年、デンマーク、ノルウェー、南スウェーデンを統合しヴァイキングの王となったクヌートは、総勢10,000人の戦士、200艘のロングシップを駆って、かのイングランド島の征服に乗り出します。その船の上にヴァイキング戦士と並んで在ったのは、謎のポーランド戦士。いったいなぜここに、棲む地域も違えば言葉も違うポーランドのスラヴ族の戦士が!?
その答えは、クヌートの血統、母シグリッドの血統にありました。
そう、シグリッドはポーランド王家の出身。そして彼女の兄または弟にあたるボレスワフ、つまりクヌートのおじは、当時、ポーランドを治める公爵であり、後に名実ともに初代のポーランド王となる存在だったのです………
…というのが当初の骨子でした。あまり知られていない西欧イングランドと北欧、そして中欧ポーランドの歴史の交叉を背景にシグリッドという女性の生き様に迫る演目。
…が、待て待て待て。
はい、ここで行き止まったのです、geneは。二つの理由で。
シグリッド?グンヒルド?
なんとこの二人、同一人物説とそうでない説と、両方があって、いまだ決着がついてないらしいのです。もともとgeneはエルサについて調べたときにはサラっと読んだもので^_^;、シグリッド=グンヒルド=ポーランド公とボヘミア王の娘=スウェーデン王の妻、という設定で6月演目のショートドラマを創っていましたが…。何やら雲行きが…。
読み進めるうちに、これはどうも別人だな、という解釈に傾いてきました。
同一人物説は、Adam of Bremenが、「ポーランド公の娘がはじめにスウェーデン王と結婚して息子オーラフを産み、その後にデンマーク王と再婚してクヌートらを産んだ」、と書いていることから発しているのですが、どうもこれ、Adamのカンチガイっぽいのです…^_^;
では真相はと言えば、"ポーランド公の娘"がスウェーデン王とも、デンマーク王とも結婚したのはマチガイないようで、それぞれオーラフと、クヌート兄弟を産んでいるのですが、、、それぞれ別人…。orz...
ある研究者は、クヌートの妹の名がポーランド語で解釈できることからやっぱりクヌートの母はポーランド出身だと言っているそうですが、これはポーランド出身のシグリッドが母であるという証拠にはならず、ポーランド出身の別の王女が母であると考える方が妥当だとgeneは(も)考えました。(ただ、その名は古ノルド語のSigridに相当するポーランド語Świętosławaなので、"シグリッド=クヌートおよびその妹の母"説も成り立つようにも思えます…。掘り下げ中止。)
で、その後も調査を進めましたが、限られた情報では、(前述のポーランド戦士の逸話からも)クヌートの母がポーランド王ミェシェコの娘で本名シフィエントスワヴァであろうことは確認できても、結局シグリッドが誰なのかはわからずじまいでした(T_T) もしかしたらシグリッドは、グンヒルドことシフィエントスワヴァの姉妹、つまり同じ父ミェシェコの娘かもしれません。しかしまったく関係ないスカンディナヴィアの女性かもしれません。信仰的にもそうなのかも…。クヌートたちを育てたことでグンヒルドことシフィエントスワヴァと混同されただけで、実際はポーランドとは関係ないのかも…。うーん。
エルサとアナ、シグリッドとグンヒルド
そう、『アナ雪』は、姉エルサと妹アナの姉妹愛を描いた作品。女性という枠に押し込められた秘められた力を解き放った姉エルサと、おとなしく従順な娘であったアナ。それは姉と妹であると同時に、ひとりの女性の二つの姿を表したものだという論評もあったくらい。
つ・ま・り!
やはりこのシグリッドとグンヒルドが、同一人物なのか姉妹なのか他人なのかわかっていないこの二人の中世の女性が、エルサとアナのモデルに違いない!!!
ノルウェー王オーラヴ・トリグヴァソン
…という役柄で、前回5月に『One Step Forward to South』を創っていたのですが…
なんとこの方。そーんなおバカな役で終わらせるにはもったいないほどの大大大冒険譚の主人公じゃありませんか!貴種流離譚!北海をまたにかけた大冒険!彗星のごとき新王!そして平家物語かと見まごうばかりの凄絶な最期、盛者必衰物語!!
うーん、これを見過ごすわけにはいきません。ここはぜひ、オーラヴ君にもそれなりに活躍の場を持ってほしい。
と思って調べ始めると、あまりのオーラヴ君の濃ゆい人生ゆえに、第一部は結局、オーラヴ・トリグヴァソン物語になってしまいました^_^;
まあ、実際のところは"オーラヴ・トリグヴァソン物語"としてサガに描かれているお話がすべて同一人物の逸話かどうかは怪しいと思うのですね、geneは。あまりに広範囲で、あまりに転身が速い。いえ、当時のヨーロッパ世界、ヴァイキング世界ではそれはありえたのかもしれませんが、フツウに考えると、ノヴゴロド時代からヴェンド時代にかけての物語と、イングランドでの婿入りからノルウェー王時代にかけての物語とは、別の人物の伝承が、「ヴァイキング戦士の婿入り物語(逆玉物語(笑))」として混同された結果、ひとりの人物の伝説に仕立てられたのではないでしょうか。
また、今回の演目でもそのようにしましたが、オーラヴがノルウェー王家の出身、ハーラル美髪王の曾孫という語りも、むしろ騙り、だったと考えます。つまり、真相は貴種流離譚ではなく、素性のわからない若者の下剋上物語、成功譚だというわけです。
それに、そのほうが面白いでしょ?
というわけで、サガの上では、牛若丸ばりのスタートをきって平知盛的なゴールを決めたオーラヴ君ですが、むしろチチアの孤児だったイシュトヴァーンのごとき人生に、書き換えさせていただきました。ついでに、シグリッドとグンヒルドに対抗して、兄弟愛も描けたし、満足満足です\(^o^)/
オーラヴの一生については、英文・和文ともWikipediaに詳細に記載されていましたので、そちらを参照しました。前述のとおり、『ヘイミスクリングラ』とブレーメンのアダム某の記録、そして各種のヴァイキング・サーガが元になっています。演目ではできるだけこれに忠実に再現することを心がけました。
ノヴゴロドに向かう商船の上でエストニアの海賊クラークとクラーコンに襲われ、父母を失い、弟ともどもドレイにされてしまうオーラヴ。
やがてレアスじいさんの元から叔父のシグルに拾われ、ノヴゴロド(またはキエフ)のヴラジーミル一世の宮廷に仕えることとなるオーラヴ。実はヴラジーミルの妻であるアロギアはヴァイキング(ヴァリャーグ)の出身。
なんだか幼いオーラヴといいフンイキになるアロギア。モテ期のオーラヴを煙たがるヴラジーミル。こうしてオーラヴの流浪の旅・青年編が開始されます。
弟ソルギルスと二人で小舟を漕ぎだして着いたところはヴェンド。後のポーランド。オーラヴはそこでアロギアに生き写しの女性ゲイラと結婚し、ヴェンド公ミェシェコの婿となります。
やがて、神聖ローマ皇帝オットー三世が北欧勢のデーン・ノルウェー同盟との戦をはじめると、なんとペイガンなのにクリスチャンの皇帝側に立って参戦するオーラヴ。
しかし、最愛の妻ゲイラはこの世を去り、舅のミェシェコからも疎まれ、オーラヴは再び旅に…。紆余曲折の旅の途上、稼ぎが命のヨムスのヴァイキングたちはオーラヴを裏切って逃走。ショックを受けるオーラヴ。
オーラヴは、部下の裏切りを予言した修道僧の言葉が気になってなりません。
やがて、ブリテン諸島を略奪して回っていたオーラヴの前に再び現れるカトリックの教え。ついにオーラヴは改宗します。
そんな頃、ダブリンの王妹の婿選びがあると聞いたオーラヴとソルギルスは一路アイルランドへ。オーラヴは王妹ギダの婿に収まり、平和なひと時を過ごしました。
しかし、歴史は、スカンディナヴィアは、オーラヴを放っておきません。かつてオーラヴとヨムスの軍勢に敗れたノルウェーはラーデ地方のヤール(伯)ハーコンの暴虐に疲れたノルウェーの民は、オーラヴを反乱軍首領として、そして王として、ノルウェーの地に迎え入れます。
幼き頃に夢見た、「ノルウェー王」がついに現実に。
しかし、権力を手に入れた者の末路はいつの世も同じ。力の使い方を誤り、次第に横暴になるオーラヴ。良かれと思ってのカトリック布教も徐々に苛烈さを増し、人々の恐れを招いてしまいます。
そんな中現れたのが、シグリッド。スウェーデンのエイリーク勝利王の妻だった彼女を、オーラヴは欲しますが、旧き神々を深く信仰する芯の強い彼女はオーラヴの求婚を受け入れません。
ついに痺れを切らしたオーラヴは、あろうことか彼女に手を上げてしまうのです。シグリッドの頬をはたくオーラヴ。
怒りに震えるシグリッド。
この怒りが、シグリッドをオーラヴの仇敵でもあるデンマーク王家に向かわせ、結果的にデンマーク・スウェーデン・ラーデ連合、つまりオーラヴ包囲網が形成されてしまいます。シグリッドの実家であったヴェンドも包囲網に加わり、
あろうことかヨムスヴァイキングのシグヴァルディまでも。
シグヴァルディの策略によって、包囲網の中におびき出されるオーラヴとその旗艦、北欧最大最強のロングシップと謳われた"オルメン・ランゲ"!
わずか11艘で港を出たオーラヴは、まんまと北欧中の船に囲まれるはめに陥ります。
戦うオーラヴ、ソルギルス、ノルウェーのヴァイキングたち。
しかし、船に乗り込んだヴェンド兵も牙をむき、弓の名手エイナールも倒れます。
デーン王スヴェン双叉髭王、スウェーデン王子オーロフ・シェートコヌング、そしてスウェーデン女王の同盟の前に、もはや風前の灯となるオーラヴの命。
ついに、弟ソルギルスまでもが敵軍の矢の前に倒れます。
海へと転落するソルギルス。手を伸ばすオーラヴ。
そしてオーラヴ自身も海へ…。
ソルギルスの手を取りながら沈んでいくオーラヴは、ここにはじめて、ノルウェー王オーラヴ・トリグヴァソンとしてではなく、オーラヴ・ソロルフソンとして、名乗りを上げるのでした…
10世紀のヨーロッパとは?-西-
時は10世紀。ローマ帝国が滅びて約500年。いわゆる西ヨーロッパでは南下したゲルマン、ケルトの諸族が動乱の後にそれぞれ新たな地に根を下ろし、イタリア、フランス、ドイツなどの原型となる勢力が割拠していました。その中で、重要な役割を果たしたイデオロギーが、キリスト教、特にローマ・カトリックの信仰。
少し前、大帝と称されたフランク王国のシャルルマーニュの時代、トゥール・ポワティエの戦いで迫りくるサラセンの脅威を追い払った彼は、バチカンのサンピエトロ大聖堂へと赴き教皇レオ3世から戴冠を受け、西ローマ帝国の後継者として、"ローマ皇帝(Imperator)"の称号を授かります。つまり、ゲルマン=フランクの大族長とローマ・カトリック教会の提携です。※正確にはフランク王国はフランク族に加え、ゴート族、ランゴバルド族、ラテン化したゲルマン系諸部族やローマ帝国市民、さらにはケルトやスラヴの地域も含んだ、多民族勢力だったと近年考えられています。
結局、この戴冠は東の正統なるローマ帝国からは承認されませんでしたが、シャルルマーニュのもと、ゲルマン文化とローマ古典文明、そしてキリスト教がまじりあい、現在の西ヨーロッパ文明の原型らしきものが産まれ出ました。やがてフランク王国は分裂しますが、その中からプレモゆかりのドイツに誕生したのが、東フランク王国、すなわちドイツ王国、またの名を、神聖ローマ帝国です。
なんともカッコイイ名前に訳されていますが、神聖ローマ、つまり、Holy Romanとは、キリスト教的でローマ的な、という意味であり、本来のゲルマン諸族の文明からすると非常に逆説的な名前ですが、それだけ、ゲルマンが変質し、ローマ帝国の後継者、あるいはカトリック教会の支持者、庇護者としてのポジションをガッツリとつかんでいった時期だと言えます。つまり、ここにオドアケルによって滅ぼされたローマ帝国(西ローマ帝国)は、燃える火の中から飛び立つ不死鳥のごとく復活を遂げるのです!(少なくともリクツの上では…)
10世紀のヨーロッパとは?-北と東-
しかし、時代の流れはじょじょに北方にも押し寄せてきます。
そう、北欧のキリスト教化の時代です。
ふたつめはハンガリー人(マジャル人)によるもの。これはちょっとなじみが薄いかもしれませんが、実はハンガリーは、ヨーロッパの中でわずかにアジア系(非インドヨーロッパ語族)の言語を話す国。というのも、旧くはフン族、その後もハザール、マジャル、アヴァールなどの東方系の諸族が移住してやがて定着し、形作られた地域です。この頃はまだ、キリスト教化もされておらねば西ヨーロッパ式の封建制度(feudalism)も取り入れていない、むしろ東方の遊牧国家的な世界でした。フン族は匈奴、アヴァールは柔然と同じ一族だと言えばそのことも想像がつくでしょう。
---ちなみに10世紀のはじめ、ハンガリーで特に力を持っていたのはマジャル人の大首長[ジュラ]アールパード(ja/en)。当初、ロシア南部のヴォルガ川流域にいましたが、テュルクの勢力に押されてバルカンへ進出。東のローマ帝国と結んでブルガリアを攻め、結局はハンガリー平原に居ついて"ハンガリー大公"と呼ばれ、バイエルンやイタリア、オーストリアやスイスを攻めていました。うーん、迫力あります。で、その銅像がこちら(うおっ、獄長ウィグルか!?)。と、こちら(げげっ、なにこの、ザ・アジアンな感じは^_^;)。
後継となったこどもたちの名は、レヴェンテ/Liüntika、タルホシュ/Tarkatzus、ユッレ/Jelek、ユタシュ/Jutotzas、ジョルト/Zoltán。この末弟ジョルトの子がタクソニ/Taksony。後のハンガリー王の祖となった人物で、今回の演目に登場したポーランド王ボレスワフ一世の妻ユディスの祖父です。さらに、ユディスの父ジーザ/Gézaを産んだタクソニの妻は東方出身の娘(つまりハザールもしくはブルガールの娘)で、ユディスを産んだジーザの妻はトランシルヴァニアを支配していたマジャルの族長[ジュラ]の娘であるサロルト/Sarolt。
えー、なんでこんなことを長々と書くかというとつまり、クヌートの叔父さんの奥さん、つまりクヌートの叔母さんであるユディスの実家がこんなにもアジアンでペイガンな一族だったということが驚きだったので…。その驚きを家族写真に収めたので…。---
…スミマセン、ずいぶん話がそれましたので軌道修正…
そしてみっつめが有名なヴァインキング!
いろいろと誤解されていることの多いヴァイキングですが、とにかくこの時期には、北欧だけでなくイベリア半島、イタリア半島、ヴァルカン半島、アナトリア半島、地中海、黒海、ドナウ河、ヴォルガ河、エルベ河、ドニェプル河、ウクライナ平原などの各地、つまりヨーロッパを、まるでぐるりと取り囲むように暴れまわっていたのでした。農閑期の季節労働の一環として…。ある種の出稼ぎとして…。(いや、すみません、geneも正確に理解して正確に表現できているわけではありませんので詳細は各種専門書をあたってください。m(_ _)m)
シグリッドとクヌートは、ちょうどそんな時代に、この三つの勢力のうち二つ、ハンガリアンとヴァイキングの両方に深く縁のある人物として登場します。そしてボヘミア王家や神聖ローマ皇帝、ノルウェーのオーラヴ・トリグヴァソン、イングランドのエマなどとの関わりを通じて、スカンディナヴィアが、デンマークが、そしてブリテン島が次第にキリスト教世界として成立していく時代の、体現者だったのです。
Sigrid the Haughty a.k.a. Świętosława
母ドブラフカ [Dobrawa of Bohemia]は、ポーランドの更に南、現在のチェコにあたるボヘミア/ベーメンの王であった"ザンコク王"ボレスラフ [Boleslav the Cruel, the Duke of Bohemia]とその妻ビアゴタ [Biagota]の娘。
つまり、ボヘミア王女として産まれ、ポーランド大公妃となった、というわけですが、さらにこのBiagota、つまりシグリッドの祖母は、その名から推察してブルガール族の出身ではないかと言われているとか(※ただし神聖ローマ帝国内の領邦出身の可能性もあり)。
※ボレスラウの妻、マチガイ写真です^_^;
ビアゴタが別のキャラに…。ホントはこちらです。
いずれにしてもドブラフカは、ボヘミアからポーランドにやってきて、シフィエントスワヴァとボレスワフ [Bolesław I Chrobry/Bolesław I the Great/Bolesław I the Brave]という名の姉弟あるいは兄妹を産みました。 (なお、このボレスワフ君はボヘミアのボレスラウじいさんとは別人ですので混同注意。じいさんの名にちなんで名づけられたのですね。ちなみに後に、ボヘミア公も兼任しますが、その際はボレスラヴ4世と呼ばれます。うう…)
うーん、だんだんややこしくなってきましたよ!!(笑)
こんな感じ。
母方祖父 Boleslav the Cruel, Bohemia
|-----母 Dobrawa
母方祖母 Biagota?
|-----女 Sigrid a.k.a. Świętosława
|-----男 Bolesław I
父方祖父 Siemomysł
|-----父 Mieszko I
父方祖母 unknown
た・だ・、前にも書いた通り、いったいミェシェコとドブラフカの娘は何という名で、どこに嫁いだのかにはさまざまな疑問が残ります。スウェーデン王のエイリーク・ザ・ヴィクトリアスに嫁いだ女なのか?デンマーク王スヴェン・フォークビアードに嫁いだ女なのか?それは同一人物なのか?それともスヴェンの妻は前妻・後妻どちらもミェシェコの娘だったのか?などなどなど…。
さてそれはいったん横において。
MieszkoとDobrava
ただ、実際には少々事情が異なり、ポーランドはボヘミアと同盟を結ぶにあたってカトリックを受け入れることを条約に盛り込んであり、粛々と改宗は進んだようですので、ドブラフカの功績と呼ぶのは少々難があるようです。信者の王女による異教徒の改宗劇っていかにもドラマチックで使いやすいですから、おひれがついたというのが真相でしょう。
いずれにせよ、この結婚。後のヨーロッパ世界を大きく揺るがす結果を文字通り産み出します。そう、それがシグリッドちゃん&グンヒルドちゃんとボレスワフ君の誕生。この兄妹が、後の北欧地域とポーランドの礎となっていることは、、、意外と知られていないというかgeneは最近まで知りませんでした。
シグリッドまたはグンヒルドが北海帝国の創建者となるクヌートを産むことはすでに書きましたが、男の子のボレスワフ君もすごい。彼は父ミェシェコの後を継いでポーランド大公となり、その後、みずから王に戴冠して名実ともにポーランドを王国として成立させるという、超大物に成長します!
Boleslaw I Chrobry, the 1st King of Poland
ここで言う"王"、"王国"とは、神聖ローマ帝国との関係で考えるとわかりやすいでしょう。当時の西ヨーロッパ的なfeudalismでは、教皇に承認された"ローマ皇帝"がおり、その勢力下にある諸侯は、大公 Prince、公爵 Duke、宮中伯 Pfalz、辺境伯 Malgrave などの爵位を受け、それぞれの地域に君臨しています。そして王 rex というのは、微妙な立場。
当時でいえば、フランク王国から誕生した-つまり神聖ローマ帝国の兄弟国である-フランス王国が比較的強大な力を持って王を名乗っていましたが、神聖ローマ帝国領内外でその強い影響下にある諸国はなかなか王とは名乗れず、場合によっては帝国への貢納の義務も持っていました。ザクセン、バイエルン、ハンガリー、ボヘミア、ポーランドなどはこの頃、ちょうどそんな時期。当然、重い負担はカンベンしてくれよ、ってことで、神聖ローマ帝国内の争いとみずからの領域の成長を両目でにらみながら、あわよくば独立した"王国"になってやろう!と考えるわけです。そして、1025年、58歳の生涯を閉じるそのわずか二ヶ月前、ボレスワフはそれに成功しました。
つまり、乱暴に言ってしまえば、ポーランドがポーランドとしてあり、ドイツではないのは、あるいはドイツにならなかったのは、まずこのミェシェコとボレスワフの時代、特にボレスワフの政治外交手腕によるものが非常に大きいと言えます。
ボレスワフ君、すげい!
現在のドイツ、オーストリア、チェコ、そしてポーランドが交じり合う地において、虎視眈々、権謀術数、チャンチャンバラバラが繰り広げられた時代の人物たちです。
Cnut the Great
この演目の第三の主役に浮上したのは、クヌート大王、すなわち、スヴェン双叉髭王の第二王子にして、後の"北海帝国/North Sea Empire"の首領、クヌートでした。
なぜかいつも喉が渇くようで水筒が手放せないヴァイキングの王子、クヌート(笑)。いまいちパッとしない兄のハーラルを追い越して成長し、オルメン・ランゲでイングランドに上陸。
ラーデ伯エイリーク・ハーコナルソン、ヨムス・ヴァイキング第三代総長トルケル・ザ・トール、マーシア伯エアドリックを従え、ヴェンドのポルカドット男爵二世、獣化兵、その他兵士やウェセックス伯ゴドウィンの力を束ねて、父を助けイングランドを支配下におさめる彼。
父の急死を経て、デーン王に推戴されるも、あくまで兄を立て、みずからは暫定イングランド王としてロンドン城の攻略に専念。
やがて、エゼルレッド無思慮王、エドマンド剛勇王を倒し、ロンドンを奪取した後は、エゼルレッドの妻であったエマを迎え、イングランドとヴァイキング勢力を統合した彼は条約によって正式に全イングランドの王に。
ノーザンブリアで出遭った美女にして悪女(笑)のエルギフに若干翻弄されつつも、その子のハーラル、スヴェン、エマとのあいだの子のハーテクヌート、グンヒルダ、エマとエゼルレッドの遺児エドワードとアルフレッド、育ての義母シグリッドの忘れ形見オーロフ・シェートコヌング、ヨムスヴァイキングたちを交えた複雑な家庭・宮廷を切り盛りし、デーン、ノルウェー、スウェーデン、そしてイングランドを統治します。
しかし、次第に離れてゆくスウェーデン、ノルウェー、ヨムスの諸勢力…。クヌートは悩みます。
そんな中現れたのは、…オバケ。そう、かつてのデーンの敵、オーラヴ・トリグヴァソン、いや、オーラヴ・ソロルフソンの亡霊でした。
おのれの理想と野望に燃えるあまり周囲を省みられなくなっているクヌートを、かつてのおのれと同じだと言って諌めるオーラヴの亡霊。ふたたび説かれる名言、「三時のニンジン」(笑)
夢か現か…。
クヌートは、みずからを支えてくれているのは、北欧を、イングランドとデーンを、いや、更に広くヨーロッパを新たなる段階に進めてくれるのは、政略結婚と割り切ってあなどっていたエマとその努力だと気づきます。
顔で選んだエルギフに入れ込んでる場合じゃない!
見た目がシグリッドに似ていることが大事じゃない!
大事なのは…その精神!!
いまわの際、クヌートは息子ハーテクヌートと娘グンヒルダに説いて聞かせます。おのれだけにとらわれるな。赤の他人の、おまえたちの隣に在る者の、その者の立場、気持ちになって考えよ。「なんじの隣人を愛せよ。」実の兄弟(のはず)のハーラルやスヴェンよりむしろ、遠ざけられて苦労しているアルフレッドやエドワードを想え、と。※でもそもそもハーテクヌートやグンヒルダにとってはアルフレッドやエドワードも半分は兄弟なのですが^_^; 不遇な彼らの立場にたって考えよ、という意味で。
「汝の隣人を愛せよ。」
geneはクリスチャンではないのですがこれは、洋の東西、古今を問わず通用する、名言、難しいけれど大事な言葉だと思うのです。
Sweyn Forkbeard
さて、そのクヌートの父、双叉髭王ことスヴェン・フォークビアード。
勢いに乗ったイングランド遠征成功間近にして突如世を去ってしまいましたが、考えてみたらこの方、実は北海帝国、ヴァイキングの統一はこの方の肩にかかっていた、この方の腕に依っていたのではないかとも感じます。
ラーデ伯ハーコン・シグルザルソンと一時は同盟したもののその後は対帝国外交政策をたがえて離反した父ハーラル藍牙王。その跡を継いでデーンの王として立ったスヴェン。
シグリッドの訪問をきっかけに、デーン、ラーデ、スウェーデン、ヴェンド、そしてヨムスの大同盟を作り上げ、ノルウェーの新王であるオーラヴ・トリグヴァソンに対抗します。
オーラヴ亡きあとはオーロフ・シェートコヌングやヨムス・ヴァイキングをはじめとしたヴァイキング諸勢力を束ねつつ、精力的にイングランドへ遠征。北海の統一に迫ります。
クヌートの活躍も、言ってみればスヴェンの急逝あってこそ。
北海帝国の真の立役者と言ってもよい存在でした。
結局シグリッドとは恋愛関係になったのかならないのか、あくまで双方合意の政略結婚だったのか、それともいい感じだったのか、それはあくまでナゾです。
エマ、グンヒルダ、そしてベアトリス
物語の終盤。
戦にあけくれたヴァイキングの猛者たちのちなまぐささを打ち消すように、女たちの物語が紡がれます。もちろん、野望、野心に捉われた女もいました。と同時に、歴史の渦の中、ヨーロッパ各地を流れに流れた血脈の中で、新たな時代を予感した女もいました。
エマは、演目中では不遇な身の上ながら信仰厚く世のために尽くす聖女的に描いていますが、実のところ、その素顔はよくわかりません。そもそも『エマ賛辞』という第一級の資料が、-史料はいつもそうですが-中立的な立場で書かれたわけではなく、あくまでカトリックの隆盛のためを思って書かれたものであるため、エマのカトリックに対する貢献は少々盛っていると感じます。
『エマ賛辞』、すなわち、『Encomium Emmae Reginae』。
…エマにしてレジーナ…
また、サーガでも劇中でも、ウェセックス伯ゴドウィンに眼をやられて葬られる(T_T)エマの子、アルフレッドですが、そもそもアルフレッドとエドワードをイングランド島に呼んだのはエマだったとも考えられています。この場合、エマ自身が二人を闇討ちしたという説と、エマは呼んだが闇討ちしたのは別人という説が考えられるのですが、後のノルウェー王を決定する際にエマがエドワードを支持しなかったことから、このアルフレッド暗殺事件の背景にエマの存在を示唆する人もいます。
いずれにせよ、当初イングランドに嫁いだノルマンディーの公女エマは、スヴェンやクヌートに率いられたヴァイキング主勢力の大波に翻弄され、イングランドとデンマークをまたにかけて、その三人の息子と一人の娘の成長を見守るはめになったのでした。
そして、エマとクヌートがもうけたこどものうち、妹の方、すなわちグンヒルダ。
クヌートの葬儀の際、ヨクボウをむき出しにするエルギフを前に啖呵をきってみせるパワフルで筋の通ったグンヒルダ。
父クヌートと神聖ローマ帝国の関係を背景に、史上最強の神聖ローマ皇帝、最強のドイツ王と呼ばれたハインリッヒ三世に嫁ぐグンヒルダ。
やがて彼女は、皇帝と共にローマに向かう途中に娘を産み落とします。
その名はベアトリス。
その後わずか六か月で世を去ったグンヒルダを想いながら、ベアトリスは成長。やがて、クエドリンブルクをはじめとする修道院を任されることになります。
かつてペイガンだったデーンの藍牙王ハーラル・ブルートゥース。その子のスヴェン・フォークビアードは北海に覇権を討ち立てるべく遠くイングランドまで遠征。その子であるとクヌートはデーンを護り、イングランドを陥とし、ノルウェー、スウェーデンを束ねて北海に一大帝国を建設。クヌートのとノルマンディー公女エマの娘として産まれたグンヒルダが、神聖ローマ帝国ハインリッヒ三世とのあいだに成した娘ベアトリスは、こうして、ブルガール、ボヘミア、ヴェンドことポーランド、スカンディナヴィア、デンマーク、イングランド、フランスはノルマンディー、そしてドイツの神聖ローマ帝国のそれぞれから歴史と血脈を受け継いだ上で、ヨーロッパのキリスト教化、ヨーロッパの一体化の長い長い歴史の中の、一ページとなったのでした。
中世ヨーロッパ。
北と南。
東と西。
いまから1,000年ほど前の、お話。
-完-