Dec 2015 - Legend of B-3 - Organized!? 03
ローレンス・ハモンド氏とジミー・スミスによって幕を開けた、新大陸、新時代のオルガン伝説。そしてそれは再び大西洋を東に向かい、ある青年の元へ向かっていた。バッハを学び、ジャズとブルースを愛したその青年の名は…
それはそれは、神々しい名だった。
第三楽章 ブリティッシュ・ロック
そう、彼は、幼い頃から古典音楽に親しみ、バッハを愛するピアノ奏者として育った。
やがて成長した彼は、アメリカで産まれたジャズやブルースを愛し、そして、、、
ジミー・スミスの奏でるハモンドB-3の音色に出会い、恋に落ちる。
60年代。リズム&ブルースのバンド、The Artwoodsでキーボード奏者を務め、そして…
やがて、彼は伝説のバンドを創造することになる。
彼の名は、
Lord。
"主"を意味する姓を持った彼は…
ライチェスターの少年。
J.S.バッハの、出遭うことのなかった高弟。
ジョン・ロード!!
ジミー・スミスと同時代を生きた、
ジミー・スミスの落とし子。
ジョン・ロード!!!
青年よ、
なかなかうまいな。
それにいいオルガンの音色だ。
ジョン!
いいぞー
レスリーの音じゃないけど、
工夫されてるなあ!
新しい!!
やがて青年ジョン・ロードは、幾つかの曲折を経て、伝説のバンドを創り上げる。
その名も…
DEEP PURPLE!!
そして、1968年から1969年にかけての第一期活動すなわち、ビートルズのカヴァーなんかも含む、幻想的で眩惑的、そして前衛的かつ破壊的な、プログレッシブ・ロックとクラシックの融合、ジャズとブルースのロック的再解釈である、
- 1stアルバム「Shade of Deep Purple」(邦題:「紫の世界」^_^;)
- 2ndアルバム「The Book of Taliesyn」(邦題:「詩人タリエシンの世界」 なお、タイトルの元となったブリテン島はカンブリアの古代吟遊詩人タリエシンについてはこちらを参照。)
- そして3rdアルバム「DEEP PURPLE」(邦題:「素晴らしきアートロックの世界」)
における独自の世界観の構築を終えた頃、彼は生涯関わることになるなかまたちと出逢うことになる。1969年、第二期活動の開始だ。そこに居たのは…
プロデューサー兼ベーシストの、、
ロジャー・グローヴァー/Roger Glover!
(あ、おれ、ハモンド登場、アフリカン・アメリカンのゴスペル世界に呼ばれなかったと思ったら、こんな役だったんだねー。ベーシストだからね!!
なぜロジャーがアフリカン!?という話はさておき、ロジャーといえばバンダナさ!)
ヘヴィーメタルヴォイスの象徴、超高音、金属的な響きを紡ぎだす新たなるヴォーカル、、
イアン・ギラン/Ian Gillan!!
(ま、まさかこんなところで男性ヴォーカルの役をやることになるとは…たしかにわたし、Dragonflyは女子としては低音なんだけど…。
あ、そうか。イアン・ギランはスコットランド系。このタータンチェックのスカートゆえか…。)
それから…
ジョンと、生涯を、フクザツな関係で紡ぎだすことになる、伝説のギタリスト、第一期、第二期を通じてバンドの顔となり、そしてバンドの方向性を大きく転換させることになった、、
リッチー・ブラックモア/Ritchie Bkackmore!
(そう、ボク、ギタリストだからね!)
そして最後は…
同じく第一期からの盟友、ドラマーのイアン・ペイス/Ian Paice!
(ヒー(>_<) ま、まさか、本来リードヴォーカルのわたしが、ここで、ドラマー…。しかも!このドラム、なんか違くない?パーカションはむしろギランでしょ?なんでこのドラムなの!?しかもこのスティック、あの雷コゾウの持ってた… あー、ヴォーカル役、いま売出し中のあのDragonflyちゃんに取られたか~(>_<))
われらGreen Dolphin & Dragonflyが演じる…第二期、、、
DEEP PURPLE!!!
Ritchie Blackmore
Ian Gillan
Ian Paice
Roger Glover
and
Jon Lord
当時、アメリカで大ヒットしていたレッド・ツェッペリンの影響の下、ハードロック路線を主張するブラックモア。
ツェッペリンかっけーー(>_<)
なーなーなー
ツェッペリンみたいなのやろうぜー!
(あ、ども。7月演目『海洋冒険譚 ~フェンリルの宝箱~』から出張してきました。”R"こと、ジャイロ・アントニオ・ロッソ。いわゆる、「赤」です。)
だ~めっ!おれはクラシックが好きなの!バッハなの!
さあ、きょうはマルコム・アーノルド指揮のロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演、『Concerto for Group and Orchestra』(邦題:『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』)の本番だよ!
やだやだやだー!そりゃおれだってバッハは好きだけど、あいつら、オーケストラのやつらは、おれらロックミュージシャンのことてんでバカにしてるじゃないか!ジョンはなんであんなの耐えられるんだ?くやしくないのか?おれはいやだー!あいつらとは顔もあわせたくなーい!
そう、ロックとクラシック。最も異質と思われた二つの音楽を融合させようとつとめる、ジョン・ロード。彼の中では、J.S.バッハとジミー・スミス、そしてジミヘンやビートルズが絶妙に調和していたのでした。
しかし…
蜜月は長くは続かなかったのです…
クラシックとの協調路線を主張するロードと、ハードロックへの傾倒を強めるブラックモア。
ジョーン!ジョナサーン!いっっっ回でいいからおれにやらせてくれよー!そしたらわかるからさー!
やれやれ。仕方ないな。じゃ、一回だけだぞ。
こうして1970年に産まれた『Deep Purple in Rock』(邦題:『ディープ・パープル・イン・ロック』)は大成功。
マウント・ラシュモアをもじったあのジャケはあまりにも有名!!
それは、ターコイズブルーのオーヴァードライヴっ!!
そして、それに先駆けて発表されたシングル曲『Black Night』(邦題:『ブラック・ナイト』)も、後の時代まで東の果てのCMソングとして知られるほどの有名曲となった。
(われらは、SCHWALTZEN!つまりBlack Knights! 実際この曲、Black Knightになるかもしれなかったんだってさ。て、てきと~^_^;)
こうして、DEEP PURPLEのハードロック路線は決定的となった。
バンドの主役をブラックモアに譲ったジョン・ロードはみずからの音楽性をソロ活動の中に見出していく。
アルバム
『Gemini Suite』
『Windows』
そして『Sarabande』
なかでもSarabandeは秀逸だ(とgeneは思う)。
おうおうおう!このあたりの解説は、このオレさま、爆炎の魔法使い、超絶美形主人公、ダーク・シュナイダーさまに任せな!
(昨年11月演目『うろ覚えBASTARD! ~ 暗黒の破壊神』からのゲスト出演です。『BASTARD!』の固有名詞、魔法名などの多くが、D.P.をはじめハードロックやヘヴィメタルのバンドからとられています。)
…あ、あんた誰…
なに!?ディ・パープル王家の話だろう?すべてのはじまり、四大王家-すなわちメタ=リカーナ、ア・イアン・メイデ、ジューダス、そしてワイトスネイキ-の祖、ディ・パープルの!ヒモノのエデ=イーの「リッチー」が滅ぼした、あのっ!
…いえ…
あ、お前はギラン・イーラ(重轟場暗黒洞)!?
…いえ、チガいます…
はははっ。むしろ僕、ジョー・ジョースターの方が適任じゃないかな。
Jon Lord、本名Jonathan Douglas Load。
つまり、JohnでなくてJonとは、ジョナサンなんだね。そして、Lord、すなわち卿。あの事件がなければジョースター卿の後継者としてLordと呼ばれていたであろう、初代ジョジョことジョナサン・ジョースターは、まさにJon Loadその人かも!?
誰だおまえはー!オレさまの解説をジャマするな!
そういう君こそ、誰だっ!僕は紳士だぞっ!
おい、イフリート!こいつら燃やしてしまえーい。 主よ、心得た。焔魔焦熱地獄(エグ・ゾーダズ)!
わーー!火事だー!煙だー!
スイスの湖上に、煙だー!
『Smoke On The Water』~♪
from アルバム『Machine Head』(邦題:『マシン・ヘッド』)
…収録に訪れたホテルで火事に遭い、スタジオを喪いながらも、廊下で録音。その時の模様を固有名詞も含めてそのまま歌詞にしたところ、あの超有名なギターリフによって世界でも知らぬ人のない楽曲となり、のちに多くのギターキッズを導くことになる。geneも以前、パワーコードの練習で弾いていました。歌うのも好きです。そんな出来事も、ちょうどこの頃…
いやいや、それもいいけど、やっぱりここは、、、
『Highway Star』~♪ でしょ!
ここにもジョンとリッチーのバッハからの影響がみてとれるよね。
そして、ハイウェイ・スターと言えば…アニメ化決定おめでとう!第四部噴上裕也!「控えめに見積もってもミケランジェロの彫刻よりも美しい」ッ
そして1972年には、来日公演を収録したライブアルバム『Made In Japan』(邦題:『Live In Japan』)は、リフの異なるバージョンの『Highway Star』や、シビれる演奏の『Child In Time』
えー、このあたり『Deep Purple In Rock』、『Machine Head』と『Made In Japan』は、『Concerto for Group and Orchestra』ともども、ハイレゾ音源もリリースされてます。たとえばe-onkyoのここを、チェックしてね❤
D F G D F G# G
D F G F D D ~♪
by ティア & Dragonfly
HR&HMといえば『BASTARD! -暗黒の破壊神-』の世界、オレ様の世界なんだよ!ジョジョだかなんだか知らねーが、お呼びでないんだよ!だいたいおまえのとこのあのブラックモアは、気持ちわりーんだよ、服の柄が!こうしてやる。えいっ。えいっ。(炎)
うわーっ。なにをするだーっ!?
…と、こっちの二人のケンカはさておき、
この頃、順調にみえたバンドでもちょっとした、いや、重大な揉め事が、おきはじめていました。
それはヒットとはある意味不可分のメンバーの疲労の中…
リッチー・ブラックモア Gt とイアン・ギラン Vo の不仲…説。
音楽性における不一致、フマンが原因だったと考えられています。
リッチー・ブラックモアとイアン・ペイス
なあなあ、もうこのバンドやめようぜー
えー、でもいい感じでいってるし、ジョンの音楽は好きだから、残ろうよー
えー、おれはやめたいよー
…で、結局、この二人は残りましたが、ギランとグローヴァーは脱退。。。(T_T)
そして…
ギランに替わって、いわゆる第3期のヴォーカルに就いたのは、一般公募で選ばれた…
デイヴィッド・カヴァーデール/David Coverdale。
以前、D.P.の前座を務めたバンドに所属していました。
ギラン(の声)を追っ払った(?)リッチーは彼を気に入り、ヴォーカルに採用したのです。
そして、時はプレモ誕生のその年。
1974年。
制作されたアルバムは『Burn』(邦題:『紫の炎』)。これまた世界的なヒットとなりました。リッチーはこのアルバムがお気に入り。
やったー!これがおれの目指す音だー!いいぞー、デイヴィッド!
…し・か・し…
よし!おれたち新メンバーも入ったことだし、これからはD.P.は、ハードロックなだけじゃなくて、ファンクやソウルなんかの、ブラック音楽の要素も取り入れていこうぜ。
な、ジョン、ジミー・スミスに憧れたあんたならわかってくれるだろ?…と言ったかどうかはわかりませんし、デイヴィッドは別にブラックの人ではないんですが…
…この路線に、リッチーは、再びガッカリ(T_T)
う、う、う、おれぁ、こんどこそ、こんどこそ、やめるぜ!
ジョン、みんな、さらばだ!
…こうして、第3期D.P.は終了。第4期も混乱のうちに、1975年、解散という終幕を迎えた。プレモの正式販売開始の年、D.P.は一旦の終焉をみたわけだ。
D.P.は消え去るかに思われました。
一方。。。
解散後、新たな道を切り開いたのが、デイヴィッド・カヴァーデール。
1976年。彼はみずからのバンド、ホワイトスネイク/Whitesnakeを結成。
あ、スネイクはいいけど ホワイト感が足りないようなので ボクが補いまーす! |
かつてのD.P.メンバーであるロジャー・グローヴァーとともに第2作めのアルバムを発表した後、、、
第3作『Trouble』(邦題:『トラブル』)では、なんとあの、ジョン・ロードが加入!
もちろん、ジョンと共に加わったのが、HAMMOND B-3の音色であったことは言うまでもありません。
と同時に、ディ・パープル王家の分家である四大王家のひとつ"ワイトスネイキ"が、文字通りディ・パープルの血を受け継いで誕生した瞬間でした。…リッチーによって滅ぼされた(?)後に…いやいや。
ジョン・ロードがホワイトスネイクに与えた影響は、HAMMOND B-3の音に留まりませんでした。そのひとつの証が、ジャケット。
ホワイトスネイクのアルバム『Lovehunter』(邦題:『ラヴハンター』)は、はてさてここに載せていいのかわるいのか悩むような悩ましいジャケットで有名ですが、これ、ジョン・ロードのソロアルバム『Sarabande』と同じ意匠なのですね。
円環を描く大蛇、すなわちウロボロスにまたがる、女。
『Sarabande』では三人の女でしたが、『Lovehunter』ではより扇情的なひとりの女に代わりました。
宗像三姉妹!×オロチ!
…しかし… ホワイトスネイクの、いや、カヴァーデールとジョン・ロードの時間も、長くは続きません。歴史は回る。まるで、ウロボロスがみずからの尾を追いかけ続けるように、時間は回り続けます。すなわちそれは…DEEP PURPLEの再結成!
プレモ誕生から10年を経た、1984年。
DEEP PURPLEは、あの、ロジャー・グローヴァー、イアン・ギラン、リッチー・ブラックモア、そしてジョン・ロードという伝説の陣容で、再び姿を表す。いわゆる、第五期の活動開始。
おいおいおい、ジョーン、そりゃないぜ~(T_T) ホワイトスネイクはどうするんだよ~
…とデヴィッドが嘆いたことは言うまでもないでしょう…(T_T)
むつかしいね。
その後、一時、イアン・ギランが離脱するものの(第六期)、再び合流(第七期)。geneがはじめて購入したD.P.アルバムは実はこの当時の『The Battle Rages On』(邦題:『紫の聖戦』)。ジャケットがかっこいいね!しかしこのアルバムリリースを後に、イアンとリッチーは再び衝突、ついにリッチーは、ホントのホントにバンドを去ってしまいました(T_T)
そして月日は流れ…
ジョンも歳をとった、1999年、いわゆる第八期活動の中、あのコンサートが行われたのです。それは、ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとの共演。再び、ロックとクラシックの融合。伝説の楽曲、『Concerto for Group and Orchestra』の再演。『Live at the Royal Albert Hall』。
しかもこれまた、伝説がつきまといます。理由は不明ですが、再演が決まった後、C.G.O.の楽譜を紛失してしまったジョン。もはや不可能かと思われたところ、ネーデルラントの音楽学生がジョンの元を訪れ、卒論のために採譜をやっている、協力してほしいとのこと。これは!とジョンは、たびたびイングランドからネーデルラントを訪れ、二人は苦労して、楽譜を復活させます。どうしても無理なところは新たに作曲。このあたりの詳細は、同コンサートを収録したDVD『In Concert with The London Symphony Orchestra』にジョン自身の言葉で綴られています。
ともあれ!
なんとか再演された、C.G.O.!
そしてそこには…
同じく年老いて、なぜか白装束に身を包んだイアン・ギランと…
(いや、写真では包んでないけど…)
ここには、リッチーも、デイヴィッドも…
…いませんでしたが(T_T)
そのかわり…
ゲストヴォーカルとして、
リッチーとともにバンド"レインボー"を結成していたこともある、、、また、オジー・オズボーンが結成し、一時ギランも加入していた、"ブラックサバス"の第?代ヴォーカリストとしての活動でも知られる、、、
ロニー・ジェイムズ・ディオの姿がッ!
ディオ!そう、DIO!です!ここにきてはじめて、ジョナサンとディオの共演です!\(^o^)/
ジョン・ロードと
歴代ヴォーカル
…いやこれ、Live at..の写真なのになぜここにデイヴィッドが^_^;
旧き盟友、ロジャーは健在。
そしてやはり、バンダナ。
老いてもバンダナ。
…おれ、ベツに天国に行ったわけじゃないぞ。みんながヤだったわけでもない。単に、オーケストラとの共演は、ヤだって昔から言ってるだろ。おれだって、バッハは好きだし、バロックとブルースは、おれのギターの原点さ。バンドのやつらともまた会いてぇよ。ただ、、、あのオーケストラのやつらの態度が、、、トラウマなんだよー(>_<)
…と言ったかどうかは不明…呼ばれたのかどうかも不明…
いろいろありましたが、ジョンは決して、リッチーのことを嫌いになってはいなかったでしょう。それはリッチーも同じこと。同じバックグランドを持ち、同じ音楽を愛し、創りだした二人は、いろいろありながらも、いやいろいろあったからこそ、切っても切れない間柄。もはや好きとかきらいとかの概念を超えたところで、繋がりあっていたのでしょう。
まるでジョースター一族とDIO様のように…
ブラックモアは不在でしたが、ギラン、ペイス、そしてグローヴァーと、自身のルーツであるクラシックと、自身が生み出したハードロックとが、30年前とはまた違った形に昇華された楽曲を奏でるなか、ジョンは幸せそうにみえました。
そして、その3年後、ジョンは体調不良を理由にバンドを脱退。さらに10年後の2012年、病により、この世を去りました。
R.I.P. Jon Lord
ジョン・ロード。
他に類をみないオルガンサウンドと素晴らしい楽曲、そして垣根を越えた音楽の融合を、ありがとう。あなたはまちがいなく20世紀が誇るべき、音楽家のひとりです。