2015年9月13日日曜日

Sep 2015 - Chapter 1 

「あれは、僕がみた夢だったのだろうか。それとも、ホントウに起きたことだったのだろうか。いまではもうわからない。でも僕は確かにあの時あそこにいて、彼も、確かにいたんだという感覚だけは残っている。その後、彼がどこに向かい、どんな生を生きたのかは、誰も知らないけれど…。」

大長編へと繋がる断章、『獣の時代』、開演!


第一章 テュートン騎士団


…えー、であるからしてッ!われわれがこうしてここバルトの地にて、尊き任務に就くことを許されているのもッ、すべてッ!!われらが第四代総長、ヘルマン・フォン・ザルツァさまの功績にほかならないのであーる!!




…諸君らも知るように、そもそもわれらドイツ騎士団、またの名をテュートン騎士団として知られる誉れ高き騎士修道会は、前世紀の終わり、かの東地中海、聖地をめぐる聖戦のさなか、かの地に赴いたドイツの兄弟たちを癒す病院として設立されたのがその始まりだぁ。

エルサレムの街に造られたわれらがドイツ人のための病院は、当初は教皇クレイスティヌス二世の命を賜ったホスピタル騎士団によって経営され、教皇の「ドイツ人たれ」というお言葉の元、現地語も、ラテン語も話せなかったわれらがドイツの同胞たちのために大いに役立ったと言われているぅ。



やがて、エルサレムは陥落するわけだがぁ、当時繁栄の端についていたリューベックブレーメンの商人たちがアクレの攻城戦に備えて、当地に十字軍兵士のための病院設立を行うんだなぁ。こいつが、1192年にこんどは教皇クレイスティヌス三世の認可を得る。いい国つくろう!と言ったかどうかは記録にないが、まあだいたいその頃のことだぁ。ここ、試験に出るぞぉ。

病院とそれを経営した修道会は、先輩にあたるテンプル騎士団をひとつのモデルとして、次第に軍備を整え、騎士修道会としての体をなしていくぅ。そして、今世紀の初頭に総長の座に就いた第四代ヘルマン・フォン・ザルツァさまの頃には、テンプル、ヨハネには及ばぬものの、その名を知らぬ者はいないであろう、立派な騎士団となり、サラセンどもと死闘を繰り広げたんだなぁ。

騎士団は、アクレのほか、小アルメニア、エルサレム王国、それから神聖ローマ帝国の領内に、土地を購入したり寄進地を受けたりして経済的にも成長した。そして!ついに、東地中海を出て、われらが国をめざすこととなる!

教皇だけでなく、当時の神聖ローマ皇帝フリードリフ二世の絶大な信頼を受け、親友とも呼ばれるようになったザルツァさまは、帝国の"フュルスト"、別名、Prince of the Empireとも呼ばれる高貴なる称号を受け、帝国諸侯たちと対等に、あるいは教皇と皇帝のあいだにたって、巧みな外交戦を繰り広げるッ!

ザルツァさまの政治力は、世界一ィィィィィ!!

皇帝がエルサレム王国国王として戴冠を行った際には、われらがザルツァさまが聖墳墓教会へと同行し、われらがドイツ語で、その宣言を読み上げたッ!

ザルツァさまの権勢も、世界一ィィィ!!

(…はぁ。なーにが「世界イチィィィ!」だ。管区長のやつ、はりきっちゃって。。。そんな話、もうこどもでも知ってるし、だいたい、話長いんだよな。。

はあ。こんなとこ、来るんじゃなかったよ…。

もっと未知の土地へ、旅に出たかったのになぁ。。たとえばもっともっと東、砂漠や山脈を越えた、遠くキタイの地に。。。)





…僕の名前はジークフリート。頼んでもいないのにつけられたこのオオゲサで時代がかった名前のせいでからかわれたことが一度や二度じゃないってことは、いまさら言うまでもないだろう。

そしてここは、ドイツ騎士団の、その中でも辺境開拓の任を受けた一隊の城。いわゆる、バルト地方。ポーランド諸侯やリトアニア、ラトヴィア、それに旧い時代の異教を信じてるって言われるプルーセン人って人たちが住んでる、東の果てだ。正直、寒いし、メシはマズい。いまさらながらにこんなところ来るんじゃなかったって、毎日のように思う日々が続いてる。

じゃ、なんでこんなとこに僕がいるかというと、、、それはうちがビンボーだから。いや、ビンボーになっちゃったから、かな。

我が家、ローエングラム家は、歴史に名を刻むほどではないにせよ僕の曾祖父の頃まではそれなりに領地も持ち、裕福な暮らしをしてたらしい。でもお祖父さまの代に戦で敗れ土地を奪われ、お父さまはしがない城勤めをするしか生きていくすべはなくなった。当然僕もそう。だけど最近じゃ国の中は僕のように土地もなければ仕事にもあぶれてってやつらが多くて。まともな仕事に就こうと思えば、ちょっと前に流行った"聖地奪還"とか、ここで行われている"東方植民"、"東方教化"とかいう、教会と皇帝とが競ってやってる領土拡大事業に参加するくらいしかないってわけだ。


もっとも実際のところ、ここにきてるのは僕のようなビンボー貴族よりも、それなりにお坊ちゃんで次男坊、三男坊ってやつらが多いのかな。国が豊かになり、人が増えて、そうしてあぶれてきた次男三男どもがなんだか青臭い野心とか正義感を丸出しにして集まってる。まあ、そんな、甘っちょろいわりには汗臭い、そんなところだ。

ホラ、ちょうどあいつも、どっかの伯爵家だかの次男坊だっていってたな。いかにも坊ちゃんって感じだよ。マントなんか羽織っちゃってさ。

んで、あのはりきってるとっちゃんが、当座の僕の上司にあたる、東方第三管区長のヘルムート司祭。騎士団の総長のヘルマン・フォン・ザルツァを盲信している、ちょっとキモい感じのおっちゃんだ。とにかくやかましいの話長いのったら。


(ふぁぁぁぁ。眠いよ。。。)





…やがてザルツァさまとわれらドイツ騎士団は、当時ハンガリーを脅かしていたクマン人、つまりキプチャクの騎兵どもを追い払うよう、ハンガリー王アンドラーシュ二世の招聘を受け、トランシルヴァニアに赴くぅ。東地中海に続き、ヨーロッパの南東端を、異教のやつらから守るというこれまた名誉ある使命だ!!

しかーも!やはりザルツァさまの大胆さは、世界イチィィィ!なんと!教皇ホノリウス三世の勅許をえたザルツァさまは、獲得した領地の独立を宣言!ハンガリーの地にわれらが独立国を築かんとしたのだぁ。どーだ、キサマら、この凄さがわかるか?ええ?

しかしぃ!アンドラーシュの愚か者はザルツァさまの大胆不敵さを認めるだけの男気を持ち合わせず、それどころか、教皇に寝返った裏切り者との汚名を着せ、われら騎士団をかの地から追い払いおったのだ!!

ううぬ、許せん、アンドラーシュ!ハンガリーが、トランシルヴァニアが、キプチャクの牧羊場にならなかったのは誰のおかげだと思っておるんだ!

だがしかし!こんなことでへこたれるザルツァさまではないのはキサマら、もう知ってるな。

そう、かの地を追われた1225年、その翌年には、ザルツァさまは次なる挑戦に打って出る。それがこの、東方教化だ!

われらが武勇の噂を聞きつけたポーランド北東の諸侯、マゾフシェ公コンラト一世の招聘を好機とし、ここ、バルトの地へと転進!!

クルムンラントを拠点に、東方の異民族にして異教徒、わけのわからん言葉とわけのわからん原始宗教を信ずるあのプルーセンどもを教化し、われらキリスト教徒の土地を護り、拡大するという気高き事業。であると同時に、いまだ続く地中海でのサラセンどもとの戦いの絶好の訓練場、それが、ここ東方だ!


(…ふぁぁぁ。。。)

(…眠い。。)

だいたい、レヴァントだって、ハンガリーだって、ここだって、誰かの土地、誰かの暮らしがあるんだろ?勝手な理由付けてはのこのこ押し入って建国だ、独立だなんて、盗人みたいな話じゃないか。皇帝はともかく、ホントに教会や神がこんなこと認めてんのか?なんだかウソくさい話だよ。


(…まじで眠いよぉ。。。)

(…うーん。。。)


ウトウト。。

ウトウト。。


…あっ、う、うわっ!!(グラッ)

ドッテーン!!


うわーーーーーー!




…ん?なんだ、いまのデカい音は?


(…や、やばい…)

(しかられる…)

(懲罰房か?

おれ、なんといってもまだ、新入りだからな。。。

やばいかもな。。。)


キサマ、最近きた、ジークフリート・フォン・ローエングラムとかいうやつだなっ。オオゲサな名前だから憶えているぞ。

(う、、、またこの名前、、、)


どうした、キサマ、まさか居眠りでもしていたのか?よりによって、ザルツァさまの功績を話してやっているその最中に!!

…う、い、いや、寝てません。聴いてました。途中までは…

なにぃ?

う、いや、、


キサマぁ!たるんでいるな!さては、東方開拓をナメてるな!そうだろう?ええ?昼寝しながらでもできるような事業だと思ったら大間違いだぞ!城を一歩出るとだなあぁ、強敵がわんさか。キサマなど、すぐにしんでしまうぞ!

ガミガミ
ガミガミ

クドクド
クドクド

(…まただよ。。。すぐ「しんでしまう」。いっつもこれだ。僕がキタイへ行くって行った時も、お父さまはすぐしぬからやめろって。。。どいつもこいつも僕のホントウの力を知らないんだ。。。チクショウ…。)

(はあ、こんなところイヤだ。。。

もうやめたいよ。。。)

いいかー
これからはなー
であるからしてなー

ガミガミ
ガミガミ

クドクド
クドクド

(ふんっ。いかにもヘタレそうな顔をしてやがる。志も野心も持たずにやってきたのか。そういうやつらをおれは何人もみてきた。すぐに投げ出し、泣きながら国に帰っていくやつらをな。そういうやつほど、いまにみてろとか、おれはほんとはとか、捨て台詞を吐いていく。こいつも似たようなもんだろう。)