Nov 2015 - 1893年~1895年
カミラへの愛に気付いた時にはすでにカミラを失ってしまったアーサー。カミラの真の気持ちは?それは日記には記されていなかった。ただそこには、兄の幸せ、カミラの幸せを願いながら、失ったみずからの淡い想いを断ち切るかのように探検に身を投じる、アーサーの姿だけがあった。- 1893年-1895年 -
1893年9月19日
これが、二回目の探検。そして、なんとおれ一人での探検だ。
残念なことにジョースターさんは前回の旅で風邪をこじらせ、肺炎になってしまった。医者は、もう彼は旅に出るのはむずかしいと言っていた。
だが安心してくれ、ジョースターさん。
あなたたちの事業は、おれがきっと、立派に引き継ぐ。
1894年4月18日
ひさびさにロンドンに戻った。
三度めの旅は、キケンも多かったが、エモノも多かった。
最初に行ったウェールズ、二回めのオーストラリア、南北アメリカでも奇妙なものにたくさん出会ったが、アラビアから中央アジアと駆け抜けた道のりは、驚きの連続だった。
遺跡、珍しい鳥や獣、各地の部族の装束。
ジョースターさんはこういったものを集めては研究をすることを好んでいる。
旅には出られなくなったが、おれが集めてくる品を研究できることをホントウに喜んでくれている。
これがおれが、旅をする理由だ。
…いや、ホントウの理由は、(以下欠落)
1895年6月20日
四度めの冒険も無事に終了した。
極地へは初めて訪れた。
北の極地には白いクマ。
南の極地にはこの、ペンギンという鳥。
それに旅の途中で出会った商人たちから、奇妙な品を得ることもできた。
ザビエルの頭陀袋、ヌルハチの剣、おれと同じ名を持つアーサー王の冠、オルフェウスの竪琴、革で作られたアグダの酒袋、そして、テュートンの軍旗。
新聞社の連中には、どうせマユツバだろう、つかまされたんだろうと笑われたが…
…おれには学はないから、それはわからない。
だがいいんだ。
ジョースターさんが喜んでくれるし、ジョセフィンもおもしろがってくれる。
それに、あの二人が楽しそうにしていれば、カミラも。
そう、実はカミラに関してはもうひとつ、嬉しい話がある。
カミラがジョースター卿の研究を手伝いはじめたのだ。ジョースター卿は筋がいいと言っていたが、それどころじゃない。おれは知ってる。
この国のガクシャどもは頭が固くて、女の書いた論文なんか見向きもしないらしいが、カミラはそれでも、すでにいくつもの素晴らしい論文を書いたという。
これまでにみせてもらったのは確か、、、
- 『南北アメリカ大陸における哺乳動物の進化と変遷 - 固有種』
- 『モンゴル高原、タリム盆地、そしてカスピ海沿岸における「玉」-あるいは翡翠-の交易』
- 『エニセイ川流域未開民族の言語とアメリカ合衆国アリゾナ準州の遊牧民の言語における語彙についての考察-石の章-』
- 『飛べない鳥たち その進化』
- 『フラミンゴの体色変化の観察記録』
- 『アーサー王 ローマから来た士官』
- 『イングランドの歴史形成におけるヴァイキングの役割に関する一考察』
…たしかこんな感じだ。どれもこれも早口言葉のようでさっぱりだが、カミラが書いたと聞いて、なんとかこうして表題だけでも覚えてみた。ケモノたちの話もあれば、歴史の話もある。カミラは教養深い。もっともおれにはその価値はよくわからないのだが。あの賢いカミラの書いたものだからたぶん、正しいことを言っているのだろう。
とにかく、おれの集めてきたガラクタが、カミラにとって大切なものとなっていること、二人が何かを共有できていることが、おれはうれしい。
この気持ちは、アニキにはゼッタイにナイショだ。
ジョセフィンは12になったそうだ。あの年頃のこどもは大きくなるのが早い。あの子もカミラのように賢く気立てのよい子になってくれるといい。
1895年12月24日
クリスマスまでに帰ってくることができた。
カミラに出会ってから、ちょうど2年になる。
奇妙な少女に出会った。
アメリカでみつけたのだが、両親や部族を喪って、ドレイにされかけていたのをおれが助けた。
この国に連れてきたのがいいことかどうかがわからないが、、、
ジョセフィンもカミラも歓迎してくれていたから、じきに慣れるだろう。
何やらムズカしい名前で、誰も覚えられなかったから、みんなでスーザンと名前を付けた。
気に入ってくれればいいが。
12月25日
(日付のみ。
インクの跡はあるが、
判別できず。
劣化したか、
はじめから、
何も書かれなかったか…)
(このあたり、日記は付けられていない。欠落の跡なし。当初より記録されず。)
…そして3年の時が流れ…