Nov 2015 - もうひとつの手記
アーサー・カニンガムに訪れたヒゲキ、そしてスピードワンコ財団の設立。ビョルン博士の考察は、歴史の断章をあぶりだしていた。しかし、博士はすべてを知ったわけではなかった。もうひとつの、隠された手記を、博士はまだ見出していなかったからだ。それは、財団書庫で、アーサーの日誌の実に隣に置かれていたのだが…
続編 - 1897年 独白
アーサー。
いつかあなたがこの記録を読むことがあると信じて、わたしは筆をとっています。
まだわたしの中に、ヒトらしい部分が残っているうちに、あなたに伝えておきたいから。
そう、じきにわたしは、カンゼンなる獣に変化するでしょう。それはわたしの、みにくい、ゆがんだ心の、報いです。
あれは、あなたがまだ、無邪気に大陸を駆け巡っていたころですね。
あの年のクリスマスを、わたしは忘れません。
あなたと、愛を交し合うことができたあの日を。
そう、わたしは、あなたに初めて会ったその日から、心惹かれていました。
でも、あなたはそっけなかった。
そうでしょうね。あなたのような野性と知力に満ちた方には、わたしのようなしがないガヴァネスなど、つまらない女に映ったでしょう。
わたしがあなたのお兄さまの求婚を受け入れた理由は、正直、いまでもわたし自身、言葉にはできません。
お兄さまの優しさ、一途さには、確かに心を打たれました。わたしは、世界から捨てられた身。誰かに求められることに喜びを感じたのは、確かです。
でもほんとうは、お兄さまのうちにあなたの影をみつけては、それに悦んでいたのかもしれません。
そっけないあなたよりも、お兄さまを選んでしまった。これが、愛でなかったのか、それともひとつの愛の形だったのか、わたしにはわからない。
あなたが旅に出てしまってからは、お兄さまを大事に思いました。これは疑いのない事実です。わたしは決して、お兄さまを裏切っていたわけではないのです。
でも同時に、あなたの持ち帰る品々を、あなたをより深く知るための道標としていたのも、偽ることのできない真実です。
わたしは、確かに、あなたを愛していました。
そしてあの夜…。
わたしは、あなたの連れ帰ったあの異国の少女に、嫉妬したのでしょう。眠りに就こうとしたとき、あなたをあの少女に連れ去られる夢をみました。
そうしたら無性に、許せなくなって、そして、あなたの閨を訪ねたのです。
わたしは幸せだった。
新しい日々が、ホントウのわたしと過ごす日々が、訪れると信じて、安らかな眠りにつきました。隣で眠るあの人には、ほんとうに申し訳ないと感じながら。
それなのに翌朝、あなたは消えていた。
暗黒大陸へ向かうと書置きを残して。
その時のわたしの落胆、あなたにはとても想像がつかないでしょうね。
いえ、いいのです。いまは恨み言をいう時ではないのですから。
やがて年が明け、わたしは、わたしのうちにあたらしい命が宿っていることを知りました。そしてフシギと、確信しました。あの結晶を。
いまとなっては確かめる術はありません。あの子は産まれてすぐ逝ってしまったのだから。あなたの面影をみることはできませんでした。
でも、、、
そうです。わたしをなじったあの人の言葉は、わたしに突き刺さった。なぜならそれは、真実をついていたから。
あなたはきっと、スーザンから、すべてを聴かされることになるでしょう。あの子はすべてに気付いているし、そしてウソをつかない。
あの日、あの人の命を散らしたのは、わたしが原因です。
でも信じてほしい。わたしはあの人の命に手をかけたわけではない。あの人は…。
そしてそれが、わたしを変えました。
あの日、あの人から突き付けられた真実に耐えられなくなったわたしは、部屋にこもりました。でもあの人はそこにやってきた。わたしたちは激しく争いあい、そして、わたしは近くにあった品々をめちゃくちゃにあの人に投げつけた。ええ、あなたを偲ぶためのあの品々を。
…そうして、気が付いた時には、あの人が…
胸にヌルハチの剣が刺さった姿で…
頭にあの獣の皮を被った姿で…
…ああ恐ろしい。そうです、あの人はその姿で、笑みを浮かべながら立っていたのです。
あなたは想像できますか?胸に刃を突き立てながらうすら笑いを浮かべる、シビトのような男が、わたしに向かって歩み始めたときのあのわたしのキョウフを。
わたしが投げつけた剣や毛皮を身にまとったまま、せまりくる夫の姿。
しかもその笑みは決してわたしを責めるわけではなく、ただただ、純粋な愛のための笑みなのです!!
永遠と感じられたその一瞬。
でも、フシギですね。暖かくても冷たくても、そのような一瞬は、いずれは消え去るのです。
あの人は、半時ほどのあいだ、わたしを捕えようと迫ってきましたがやがて、苦悶の表情を浮かべ、床に倒れました。
あの人は息絶えていました。
なぜでしょう。
わたしにはわかりました。
夫の命を奪ったのは、ヌルハチの剣ではない。むしろあの頭巾、獣の頭部でできた、あの頭巾。
あれは、あなたがシベリアから持ち帰った、頭巾とマントのうちの片割れでした。
その後、わたしが取った行動はいまでも、わたし自身、説明がつきません。
あの頭巾を被って、夫と同じように命を絶ちたかったのか。それとも、頭巾が夫にもたらしたフシギな効果に心惹かれたのか…。
あるいは、母子ともに生き残ることは難しいと言われたわたしが、二人してあなたを待ち続けるために、できることは…
そんなことを考え、わたしは賭けたのかもしれません。
そしてその賭けは、見事にわたしの勝ちだった。
ええ、もし、ヒトが、存在し続けることに価値を感じるならば。。。
信じられないでしょう。
わたしは、その時、フシの存在となりました。試にヌルハチの剣で胸をついてみましたが、チの吹き出る穴はすぐにふさがり、わたしはむしろ、力のみなぎるのを感じていました。
鏡には、恐ろしい形相となったわたしが、映っていました。
やがてわたしは気を失い、気が付いた時には病院の床の上でした。
やがて病院から戻るころ、わたしは異変に気付きました。
力が顕れはじめたのです。
はじめのころ、その力と顔は、月に一度ほど顕れる程度でした。
やたらとニクがほしくなり、身体中に力がみなぎり、気が付くと夜空の月に向かって吠えていました。
館で飼っていたジョセフィンの動物たちが、キツネかオオカミに襲われて喰い散らかされはじめたのはちょうどその頃でした。
わたしは何か、異形の者になってしまった。
もうあなたに再びまみえることはないでしょう。
でもわたしは、悔いてはいない。
いまこの身体に流れる獣の生命力は、わたしを潤す。
わたしはいま、生きている!!
だけどもわたしは、あなたに、一部始終を伝えたかった。
明日、また月が満ちます。そうなればもう、わたしがこうしてヒトの心を保つことはない、そのような予感がして、この文を起こす決心がつきました。
アーサー。
遠い暗黒大陸のどこかで旅を続けているアーサー。
わたしはあなたを、愛して、
そして、獣になりました。
(ここで手記は終わる。しかし手記の最後のページに、
筆跡の異なる文字とインクでこう記されている。)
アーサーへ。
この手紙を長らく隠していたことをお詫びします。
わたしはあなたを喪いたくなかった。
あの日わたしは、何か変わってしまった彼女をみて、
内心、喜んだのかもしれません。
これであなたをわたしの手に抱く日が来るかもしれないと。
わたしは彼女の部屋でこの手紙をみつけ、
ひそかに隠しました。
だってあなたがこれを読んだなら、ご自身を責め、
そして、彼女への愛をより深めるでしょう。
わたしはそれが耐えられなかった。
あの事件の後、あなたと共にこちらへ戻ってからも、
わたしはこれを隠し続けました。
だってお兄さまと卿をアヤめた彼女をにくみ、恐れるから、わたしたちは共に逃げ続け、戦い続けることができた。もし、あなたのその気持ちをくじくようなことがあったらわたしは…。
結局、わたしがこの手紙を隠したせいで、あなたは彼女を許すことなく、あなたを責めすぎることなく、わたしと一緒になってくれた。ありがとう。
でも、わたしは最期に、あなたに真実を告げる義務があります。
アーサー。愛しい人。
わたしを許してください。
そして、彼女を、カミラを、救ってあげてください。
あの子を、ネイサンを、よろしく。
あなたに似て、勇気のある子に、育ててください。
そしてできたら、わたしたちのようなチ塗られた世界とは縁遠いところで、
過ごせるようにしてやってください。
あなたを愛した、S.C. あるいは S.S.