2014年1月13日月曜日

Jan 2014 -前編-


新年あけましておめでとうございます!

2014年も劇団プレモ座、よろしくお願いしますということでやってみました、
正月ゆえの文明の夜明け!

構想2か月。プレモランドさんでとあるスーパーセットを入手してずっとこの日を待っていました。演目は・・・

『ルビコン河の最果てに・・・。』 (後編『落日』はこちら


はじまりはじまり~

追記:あとがきにローマと関係ないgeneのガクセツを追記しましたv

予告編


ローマン・チャリオット!

アントニウス「ナイルはいただく!そしてわれとともに、ローマを奪い取ろうぞ!」

エジプシャン・チャリオット!










プトレマイオス「ファラオの伝統とアレクサンドロスの栄光に培われたこの都を、きさまら新参者に荒らされてなるものか!」



その頃、ローマでは・・・

剣闘士「ここがコロシアムか・・・」
剣を交える剣闘士たち

魚の闘士「おれの三叉檄のさびにしてくれる!」

豹の闘士「ペルシア人の誇りをみせてくれるわ!」
トラに敗れた剣闘士












獅子の剣闘士「う、うわー!助けてくれー!おじひを~」

トラ「ガウガウ。ガウガウ。」


両 戦車の戦士「いざ!決戦!!」


シーザーとクレオパトラ


シーザー、クレオパトラ、そして兵士レピドゥス



レピドゥスは聞かぬふり・・・

シーザー「どうだ、これがローマだ。ほこるべき、わたしのくにだ。」

クレオパトラ「なんだか野蛮な国ですこと。」

シーザー「・・・。」

クレオパトラ「知的なあなたと違って。」








シーザー「ときにクレオパトラどの・・ハナは・・?」

シーザー「な、ない!ハナがないぞ!」



もしクレオパトラのハナが・・・

なかったなら・・・

その結末は神のみぞ知る・・・














アウグストゥスの演説




アウグストゥス「諸君!ローマの元老たち、そして市民たちよ!わたしがオクタウィアヌス、いや諸君らに名誉あるこの名、アウグストゥスの名で呼ばれるものである!ローマに栄光あれ!」

「諸君らはおぼえているか!?あの、偉大なるディクタトル、シーザー、いや、ガイウス=ユリウス=カエサルの偉業を!彼は戦った!海を渡り、河を越え、諸君らローマの兵士たちとともに!」





アウグストゥス「そう、彼はルビコン河を越えた!遠くガリアの地に足を延ばした!すべてはこのローマのため!諸君らのため!そしてその偉業のゆえに、いまわれわれが、ある!」

兵士たち「ワー!ワー!」


若き日のユリウス=カエサル

カエサルの政敵 アントニウス

アウグストゥス「いまわたしは、正式に彼の栄光を継ぐ者として、諸君らの前に名乗りをあげたい!諸君らはよく戦ってくれた。あのアントニウスではなく、このわたしを選びついてきてくれた諸君とともに、わたしは残りの生涯をささげ、このローマの繁栄のためにつくすであろうことを、ここに誓う!」

兵士「ワー!」
市民「いいぞー!」
元老「フン!何が"尊厳者"だ、独裁者め!(ヒソヒソ)」

兵士「うるさい!聞こえないぞ!」





アウグストゥス「諸君らは、知っていよう。あのマケドニアの偉大なる遠征王、アレクサンドロスを・・・。」

(回想シーン)

アレクサンドロス「ふう。はるか遠くまで来たものだ。これがオクサス河か。さて、わたしの妻となる女というのはどこにいるのだろうか。たしか、ロクサネと言ったか。。。」



ペルシアの残党「待て!侵略者め!何が大王だ!何がアレクサンドリアだ!われわれのくにで好き勝手やりやがって!」

「それに、それに、美しいパリュサティスさまをきさまなんぞに渡してなるものか!」

アレクサンドロス「ん?パリュサティス?たしかスサの都で・・・」




アウグストゥス「われわれ、ローマの民は、偉大なるシーザーのもと、かのアレクサンドロスも驚嘆すべき偉業にとりかかった。まだ途ははるかだ。しかし、諸君らの英知と努力のもとに、わがくには、帝国は、空前の繁栄を遂げる!そしてその栄華は、永遠に続くであろう!!」

ローマの民「ウォーーーーー!!!!!」



エンドロール

  • シーザー/ガイウス=ユリウス=カエサル : 4272 古代ローマ戦士と馬 より
  • クレオパトラ : 4651 クレオパトラ(special)
  • アウグストゥス/オクタウィアヌス : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 執政官クラウディウス=マキシムス
  • アントニウス : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より チャリオットの戦士 
  • レピドゥス : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 警備の兵士
  • プトレマイオス : 4244 エジプトの二輪戦車 より チャリオットの戦士
  • 新人剣闘士 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 剣闘士A
  • 魚の剣闘士 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 剣闘士B
  • 豹の剣闘士 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 剣闘士C
  • 獅子の剣闘士 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 剣闘士D
  • アレクサンドロス(友情出演) : カスタム
    • ボディ等 : 4659 青マントのローマ戦士
    • 有角のヘルメット : 4436 バッファロー軍の兵士 より
    • ファラオの王冠 : 4651 クレオパトラ(special) より
    • カツラ、荷袋、弓 出元不明
  • 建物協力 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より
  • 車輛協力 :
    • ローマのチャリオット : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より
    • エジプトのチャリオット : 4244 エジプトの二輪戦車 より
  • アニマルアクター
    • ローマのチャリオットの馬 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より
    • エジプトノチャリオットの馬 : 4244 エジプトの二輪戦車 より
    • シーザーの馬 : 4272 古代ローマ戦士と馬 より
    • ライオン : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より
    • トラ : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より
    • ハイエナ : 7978 2匹のハイエナ(add-on)
    • ダチョウ : 6260 2羽のダチョウ(add-on)
    • シマウマ(特別出演) : Scheleich シマウマの親子4頭 14 391, 14 392, 14 393 他
    • アレクサンドロスの愛馬ブケファロス : 不明。ネイティブアメリカンシリーズより。
  • 神像 : 4270 古代ローマ軍のコロシアム より 神像A/B a.k.a. 石像モビ

あとがき

はいっ。というわけで古代ローマ帝国のはじまりを告げる、『ルビコン河の最果てに・・・。』お楽しみいただけましたでしょうか?

共和制ローマが帝政ローマへと変わる紀元前後。アレクサンドロスの王国の裔であるエジプトのプトレマイオス朝がローマの版図に組み込まれていく時期。有名なカエサル、オクタウィアヌス、アントニウス、レピドゥス、ポンペイウスらの競い合った時代を、ローマシリーズ総動員で表現してみました。

シーザーとクレオパトラ

まずシーザー。ここでは"シーザー"と"カエサル"と両方の表記をしていますが、実際には同じ語の読み方の違いなので、同一の時期に同一の人から両方の呼び名がでることはありえません^_^; カエサルはもとのラテン語読み。シーザーは英語読み。(なのでシーザー・ツェペリはちょっとおかしい?) まあおおらかに。

クレオパトラとのロマンスのほか、「賽は投げられた。」「来た、見た、勝った。」「ブルートゥスよ、お前もか。」など、後の文学作品でも取り上げられた数多くの名言を遺しています。カエサル自身は、いわゆるローマ皇帝(インペラトル、アウグストゥス、または プリンキパトゥス)となっていません。彼の跡を継いだ甥のオクタウィアヌスからが、いわゆる帝政ローマとして数えられます。

クレオパトラは史上有数の美女としても知られるエジプトの王女。ただし、いわゆる古代エジプトの流れを汲む一族ではありません。マケドニア王アレクサンドロスの後継者(ディアドコイ)の一人であったプトレマイオスが、大王領を分割して成立したエジプト地域の支配者となって以降のエジプト王家の一員。つまりどちらかというとギリシア文明人と言えます。通常、エキゾチックな風貌やファラオの王冠をともなってステレオタイプ化されていますが、まあ、実際、プトレマイオス朝の数百年のあいだにはギリシアの文化とエジプトの文化は融合。ヘレニズム・エジプトとでもいうべき様相を呈していたでしょう。たぶん。

カエサル亡き後は、後継者争いの一翼を担った野心家アントニウスを愛人とし、ローマの激動にかかわり続けます。このあたり、ほんとうの恋愛だったのかそれともエジプトを守るための政治的駆け引きだったのか、興味深いところです。結局、アクティウムの海戦を経てアントニウスとクレオパトラの連合は敗れ、舞台を降ります。以後はオクタウィアヌスの時代に。

なお、もうひとりの有力者であったレピドゥスはここでは"兵士のレピドゥス君"として登場。同一人物かどうかはご想像ください。

アウグストゥスの演説

やがて、競争を勝ち抜き、ローマ最大の実力者となったオクタウィアヌスは、"アウグストゥス"つまり尊厳ある者という意味の称号で呼ばれる、事実上の初代ローマ皇帝となります。ちなみにローマ皇帝には決まった称号があったわけではなく、インペラトル、プリンキパトゥス、カエサル、アウグストゥスなどと呼ばれたそうです。それぞれ英語のemperor、prince、ドイツ語のカイザーやロシア語のツァーの語源となっていて、ヨーロッパ各地の皇帝や王侯という称号が、シーザーとアウグストゥスに由来することだと理解できます。

ちなみに、アウグストゥスの名前はもうひとつ、あるものの語源となっています。それはなんでしょう?---答えは8月。英語で7月をJuly、8月をAugustと呼ぶのは、それぞれJulius(カエサル)とAugustusが語源だとか。もともと10か月しかなかった暦を12か月に拡張した際に、7月と8月が追加されたそうです。このため、続く9月 September、10月 October、11月 November、12月 Decemberが、ラテン語(というかロマンシュ諸語)における7、8、9、10を意味する、という2つずれ現象が起きています・・ たとえば10月 Octoberは、八角形(オクタゴン)、スペイン語の8(オーチョ)、八腕類のタコ(オクトパス)などと同じ語源を持っているといえます。・・・閑話休題。

アレクサンドロス大王

演説の中でとりあげられ、回想シーンに登場するアレクサンドロス大王。・・・実際にローマ人が、ギリシア文明のアレクサンドロスのことをリスペクトしていたのかどうかはgeneは知りません^_^; たまたまアレクが出来てしまったので本作に登場していただきました^_^;^_^;

ただ、イタリア半島の小さな都市国家であったローマがあそこまで拡大できたことのひとつの背景に、ギリシア文明がアレクサンドロス以降、西方ではなく東方に矛先を向けたからだ、という人もいるそうです。ギリシア都市国家繁栄の時代、イタリア半島、イベリア半島、ブリテン島などの各地に、ギリシア人やフェニキア人の入植地がありました。たとえばナポリ(ネアポリス=新都市)はギリシア文明の、チュニス(当時のカルタゴ)やリスボンはフェニキア文明が築いた植民都市です。しかし、アレクサンドロスによってギリシャ文明が糾合され、東方のアケメネス朝(ペルシア帝国)に向かって進軍を開始したことで、ローマ人の先祖たちが西地中海で発展する"余地"ができたというのです。逆に、もしアレクサンドロスの関心が地中海に向いていたら、ローマはなかったとも言えます。そういう意味では、リスペクトかどうかはともかく、「あいつ、こっち来なくてよかったよ。ホッ。ひとあんしんひとあんしん」という関係ではあったようですね(笑)

アレクサンドロスはエジプトを征服すると、伝統ある"ファラオ"の称号を帯びます。このため、プレモのアレク君にもクレオパトラと同じコブラの王冠を着けてもらいました。


ところでここで衝撃の発表(?)をgeneから。

京都東山は八坂神社。つまり祇園社。にぎやかな山車で有名なあの祇園祭の祇園社ですが、あそこに祀られているのは実はアレクサンドロスだって、みなさん気が付いてましたか?

祇園社の祭神は牛頭天王。祇園社のほかには風土記に書かれた備後福山の疫隅国社や、黒田官兵衛でにわかに注目が集まる播磨姫路の広峯神社が祀っている神で、仏教と神道が習合した考え方の中で祀られる神霊。薬師如来の垂迹、スサノオ(素盞嗚尊)の本地とも言われ、「蘇民将来」説話では武塔神(むたうのかみ)とも呼ばれます。

この神様がなぜアレクサンドロスかって?

なぜなら、その姿と奥様が、同じだからです^^

・・・この話の続きはページの最後へ


裏話

さて、ふたたびあとがきのあとがきです。

制作のきっかけとなったのは冒頭でも書いた「4270 古代ローマ軍のコロシアム」。この巨大セットはずっとプレモランドさんにあり、大幅値下げされてからも長いこと、どうしたものか迷っていたものです。だって・・・コロシアムが巨大すぎて飾れない・・・。円形ですからね。。直径1mくらいあります。。

でも、ローマン・チャリオット、ほしい。。「4274 古代ローマ戦士の二輪馬車」もあるのですが、青い戦車と白い馬だとちょっとこどもっぽいというか王子サマっぽいというか。。灰黒色の馬と赤い戦車のほうが断然よいです。それから石像モビ!これはレアアイテムです。なんとラテン語まで書いてある念入りよう。結局、迷いに迷ったあげく、11月まで残っていたら買おう!と決意して待ち、最終的にゲットしました!

ちなみに石像の台座に書かれている言葉は「SENATUS POPULUSU QUE ROMANUS CLAUDIUS MAXIMUS IMPERATOR ANNO MMVI」。ローマの元老院と市民 クラウディウス・マキシムス 2006年、となります。ローマ数字はVが5、Xが10、Cが100、Mが1,000なのですね。50のL、500のDもあるそうです。。クラウディウス・マキシムスはいわゆる"五賢帝"のひとりマルクス・アウレリウス・アントニヌスの家庭教師でもあった人物と同名。実際には彼は皇帝でも独裁官でもなく執政官(コンスル)を務めました。同一人物かどうかは不明です。


箱から出して一度だけ、部屋の床にパッケージ通りに再現してみましたが、フレームにも収まらないし歩く隙もなくなる、、^_^;ということで、メインパーツを残して解体し、このようにアレンジしてみました。オリジナルの配置は絶妙ですが、もうちょっと半径小さくても闘士と戦車1輌は収まると思います。ドイツのこども部屋っておおきいんですかね・・・苦笑

このセットに、釣合のよいエジプトの戦車のセットとローマ関係のspecialやfi?uresを組み合わせて、世界を拡大。アレクサンドロスは、ローマ兵士のバリエーションを増やそうとしていた中でなんとなくできてきて、ヘビの宝冠とホーンドヘルム、そして旅人を表す袋を組み合わせることでじぶんの中で(じぶんの中だけで・・・)アレクサンドロスとしました。ヘビ冠はシーザーと並んでいるクレオパトラのものではなく、同じプレモをもう一体用意して拝借しました。ので、シーザー、クレオパトラ、アレクサンドロスを同時に出演させることができました。


・・・で、アレクサンドロスを出してしまったので、前からどこかで語りたかった^_^;独自研究を以下で書いてみました。この話、かなり自信があるのですが、いまのところどこでも見かけていません。たいていのこういったアイディアは、ぐぐってみると誰かがすでに言っているのですが、もしかしたらホントにgeneカスタムかも!?これはさらに掘り下げねばなりませぬ!




では、おヒマな方、『異聞 極東アレクサンドロス伝』、以下お読みください。長文、ご関心いただき、ありがとうございます。m(_ _)m



余談 : 祇園社のアレクサンドロス

ところでここで衝撃の発表(?)をgeneから。

京都東山は八坂神社。つまり祇園社。にぎやかな山車で有名なあの祇園祭の祇園社ですが、あそこに祀られているのは実はアレクサンドロスだって、みなさん気が付いてましたか?

祇園社の祭神は牛頭天王。祇園社のほかには風土記に書かれた備後福山の疫隅国社や、黒田官兵衛でにわかに注目が集まる播磨姫路の広峯神社が祀っている神で、仏教と神道が習合した考え方の中で祀られる神霊。薬師如来の垂迹、スサノオ(素盞嗚尊)の本地とも言われ、「蘇民将来」説話では武塔神(むたうのかみ)とも呼ばれます。

この神様がなぜアレクサンドロスかって?

なぜなら、その姿と奥様の名前が、同じだからです^^

ツノのある王

まず、その姿から。

アレクサンドロスは、生誕地のマケドニアからインダス河流域まで、広い地域の歴史に影響を与えました。いや、与えたと伝承された、というべきでしょうか。たとえば、インド最初の統一王朝とも言われるマウリヤ朝の創始者チャンドラグプタは、若き頃にアレクサンドロスの軍勢がインダス河を越えてインド亜大陸に侵入するのを手引きしたという伝説を持っています。つまり、アレクサンドロス率いるヘレネス勢力の侵入で北インド地域が混乱し、数多くの後継者政権(Indo-Greek Kingdomsインド・ギリシア諸王国)が生まれた、その動乱の中からマウリヤ朝が羽ばたいた、というわけです。

こうしたアレクサンドロス崇拝、アレクサンドロスゆかりの逸話は事欠かず、ペルシアのゾロアスター教の聖典、旧約聖書、クルアーンなどにも登場。ずっと後の時代、ペルシア語圏やアラビア語圏では、"イスカンダル有角王/双角王"と して知られていました。このイスカンダルという名にはちょっとした誤解があります。Alexandros。この名を伝え聞いたアラビア語圏の人々はまちがえてしまったのです。最初のマチガイはアナグラム。なぜかx/kとsを入れ替えてしまい、AlexsandrosをAliskandarと伝えてしまいま す。ここは訛り、というか、言いマチガイの領域でしょう。。。続いて、第二のマチガイがおきます。これはおもしろい!!なんと最初の「al」は、定冠詞だと考えたのです・・・。orz...

ともかくこうして、アレクサンドロスの名は、Iskandar イスカンダルへと変遷。では有角王/双角王とは?

アレクサンドロスはその力を誇示するため、ウシあるいはゾウの頭を模した兜をかぶっていたと言われます。実際、彼の流れを汲んだインドのギリシア人政権が発行したコインに、こうした兜をかぶった王の横顔が刻印されたものが見つかっています(さらにこちらはトラキア出土。大王本人)。こうして、「イスカンダル有角王」という伝説がうまれました。しかも、ツノのある兜をかぶっていたのはアレクサンドロス本人だけではありませんでした。もう一人、いやもう一頭。愛馬ブケファロスも、ツノのある兜をかぶっていたのです。


牛頭天王。つまりウシの頭の王者。これは、ウシのような兜をかぶった王なのでしょうか、それともウシのような頭をした駿馬にまたがった王なのでしょうか。いずれにせよそれは、まぎれもなくアレクサンドロスの姿!!

パリュサティスとロクサネ

しかし・・・ホーンドヘルムの王者は何もアレクサンドロスだけではありません。

そこで今度は妃についてみてみましょう。

牛頭天王/武塔神の妻とされるのは頗梨采女(はりさいじょ、はりさいにょ)。八大竜王のひとり娑竭羅龍王(しゃかつらりゅうおう)の娘です。この竜女、アレクサンドロスの最初と最後の妻が混同された結果、生まれたものだと考えられるのです。

アレクサンドロスには3人の妻がありました。アケメネス朝を滅ぼし、その領土を引き継いだ大王は、征服地の人々とギリシア、マケドニアの人々の融合を企画し、遠征地での結婚を奨励します。そしてみずからも、3人の妻をめとるのです。

まず一人めは、バクトリア地方のバルフを治めた豪族オクシュアルテスの娘、ロクサネ。バルフはアケメネス朝領土のうち、最後まで大王に抵抗した地域。しかし最後はオクシュアルテスの降伏により、王の軍門に降ります。ロクサネ/ロクサナとは、歌劇シラノ・ド・ベルジュラックでも知られる"ロクサーヌ"という女性の名の由来にもなっていますが、父娘、いずれの名の中にも当地の河、オクサス河 (アラル海にそそぐアム=ダリア)の名oxasが入っていることから、もともとは地名だったとgeneは考えます。つまりオクサス河の娘、というような意味でしょう。この結婚の後、父オクシュアルテスは当地の太守に任じられています。あるいはオクシュアルテスの名が、娘の名と河の名の両方の由来となった可能性もありますね。

二人めの妻はスタテイラ。アケメネス朝最後の王であったダレイオス三世の娘。

そして三人めがズバリ、パリュサティス。アケメネス朝の最後から三番目の王アルタクセルクセス三世の娘であり、最後から二番目の王であったアルセスの妹。アレクサンドロスの異郷での結婚政策の集大成ともいえる"スサの婚礼"において、アレクサンドロスの妻となります。

アレクサンドロスは、アケメネス朝の最後の二つの王統から娘をそれぞれ妻に迎えることで、二重にペルシアの人々への正統性を訴えたのですね。

そ してそう、このパリュサティスの名こそが、頗梨采女(はりさいじょ、はりさいにょ)のオリジナルでしょう。[ハリはサンスクリット語で水晶を指す語が語源 だという説があるそうですが、サンスクリット語と古代ペルシア語は非常に近縁な言語。ペルシア語でも同じ意味なのでしょうか。]

しかし、竜王すなわち水神の娘というのは、ロクサネのほうがしっくりきます。また、遠路はるばる竜王の元へ妻をめとりに行く(下記参照)逸話は、最終抵抗勢力のいたバルフなのか、ペルシアの都スサでの婚礼のことなのか、そのどちらとも受け取れます。二つの逸話が混同されたことはおおいにありうるでしょう。

ちなみにこの三人は後に大王の後継者をめぐってバトル。。。ロクサネによって、スタテイラとパリュサティスはコロされてしまいます。。合掌。

祇園精舎の鐘の音

そもそも牛頭天王は-スサノオとの習合、それゆえの半島起源説、疫神信仰との混淆、などなど非常にわかりにくい性格の神霊となってしまっていますが-もとは天竺の祇園精舎の守護神と言われるインドの神。ゆえに八坂神社は祇園社と呼ばれます。そして、インドと言えば、アレクサンドロスが訪れた東の端。その後長らく、ギリシアの流れを汲む政権が存続しました。(インドの人々はアレクサンドロス以来のギリシア人たちを"ヤヴァナ"と称して記録しています。)

ヤヴァナたちが語る、かつての英雄、彼らの祖とも言える征服王アレクサンドロスの伝説。海を渡り、草原を征き、砂漠を越え、河へ都へと至って妻をめとった彼の姿が、バクトリアのギリシア勢力のインド侵入に伴って伝えられ、たとえば仏教を信仰したマウリヤ朝アショーカ王の時代に、あるいはクシャーナ朝カニシカ王の時代に、仏教寺院である祇園精舎と結びついたのではないでしょうか。

祇園社の縁起(『祇園牛頭天王縁起』)によれば、牛頭天王は父である「豊穣国」武答天王の太子として生まれ、王位を継承。しかし酒びたりの生活と姿かたちの恐ろしさのため彼を受け入れる女性がいない。そんな中、三人の部下が王を狩りに連れ出した先で、 ハトが王を案内し、竜王の娘のもとへ案内するという。

道中、王は貧しい蘇民将来と富豪の古単[別に古端、巨端、巨旦とも]兄弟と出会い、宿を請うが、助けてくれたのは弟の蘇民だけ。 王は蘇民に報い、やがて竜王の宮殿へと至って、その三女、頗梨采女をめとり、七男一女をもうけます。

やがて「豊穣国」への帰路、王は強欲な古単に対し、84,000の眷属を古単のもとに差し向け、復讐を敢行。古単は1,000人の僧の読経でこれを防ごうと しますが、一人の僧が居眠りをしたために試みは失敗。5,000の眷属もろともうち滅ぼされてしまいました。["けりころされ"、つまり騎馬兵にやられた とも読み取れます。]

しかし王は、古単の妻となっていた蘇民の娘にだけは、呪符の作り方を教え、王の眷属による攻撃から守ります。この札が、後に「蘇民将来」の札として、魔除け、疫病除けの護符として、京都から播磨、備前、備中、備後にいたる広い地域で信仰されたのでした。(geneの生まれた家にも神棚においてましたよ~)

もうおわかりでしょう。「豊穣国」こそがマケドニア、父の武答神はフィリッポス王、僧の読経はゾロアスター教の祭祀でしょうか。。。

この逸話にアレクサンドロスとその妻パチュサティス/ロクサネ以外がどこまで反映されているのか。それはまだgeneも調査中ですが、アルタクセルクセスの娘がパリュサティス、その アルタクセルクセスの二代後の王がアレクサンドロスに敗れたダレイオス三世、ということを考えると、アルタクセルクセス=蘇民、古単=ダレイオス、という 可能性も考えられるでしょう。その宮廷から、パリュサティスは救い出されたのですから。ではこれらをインドよりもさらに東へ伝えたのは誰なのか!?仏教だけなのか!?半島の牛頭山/曽尸茂梨/ソシモリとは?スサノオとスサの結婚、これは偶然なのか?うーん、おもしろい!


アレクサンドロス。その最期は謎に包まれていますが一説には、亜熱帯のインダス地域で蚊に刺されて感染したマラリアが原因とも。疫病を恐れる信仰とアレクサンドロスには切っても切れない縁があるのかもしれません。